【1970年大阪万博】捨てられなかった8ミリビデオ デジタル化で蘇る40年前のニュータウンと家族 時代とともに成長していく家族の時間とは?
2025年大阪・関西万博まで半年と迫ってきました。開幕を前に1970年大阪万博を知る人を大阪・千里で取材するなかでMBSのカメラマンが偶然見つけたのがホームビデオをとして普及していた8ミリカメラです。そこに残っていたのは時代と家族の物語でした。 【写真を見る】捨てられない家族を記録した8ミリビデオ
1970年「大阪万博」会場近くの千里ニュータウンは当時の憧れ
1970年に大阪・千里で開かれた「大阪万博」。高度経済成長真っ只中の日本で、夢の未来を体験しようと、6400万人もの人が訪れました。 同じ時期に会場近くに開発された千里ニュータウンは憧れの的。『団地に住みたい!』当時の入居倍率は100倍を超える狭き門でした。住民は増え続け、万博の2年後に完成した商業施設「セルシー」は長い間千里のにぎわいの中心となりました。 2023年の夏。千里を訪れました。かつて万博で盛り上がったこの街は当時どんな様子だったのか。次の万博に向けて、時代の変化を考えるような取材をしたいと、聞き込みを始めました。 「この辺りは新婚、若い夫婦がいっぱいで、華やかな場所でしたね」 「高度成長時代だったこともあって、『イケイケドンドン』でニュータウンも含めて1970年というのは、僕の人生の中で70~80%占めているような記憶」 万博とともに成長した町。千里と万博は切っても切れない関係です。
家族を記録していた8ミリビデオを持つ女性 大阪万博をきっかけに「映像を家で見る」文化が根付く
聞き込みを続けているとひとりの女性に出会いました。 (中山都記子さん)「(Q万博行きました?)はい。家も近かったので、すぐ裏が家だった。歩いて夕方、散歩がてら行けたので」 万博のときに千里に越してきたという中山都記子さん(66)。当時中学一年生でした。若い活気のある街に惹かれ、結婚後も千里で暮らしてきました。自宅には、古い映像が眠っていると言います。 (中山都記子さん)「父もカメラマン。婚礼写真のカメラマンだったので、割と早い時期にビデオカメラを手に入れたりとか。(ビデオカメラを)持ち歩くのは大変。だんだんコンパクトになってきたけど、今は(デジタル化して)落とさないと見れなくなちゃって」 (カメラマン)「Qよかったらデジタル化して見られるようにしましょうか?」