生還した「囚人番号3006」 アサド政権下の拘束語る
■手首からつるされた
モハメドさんは数日間、独房の鉄格子に手首からつるされた。最初は床に足が届かない高さにつるされ、その後、足がようやく床に触れる高さにまで下げられた。殴打され、食べ物はほとんど何も与えられなかった。
接触した人物は看守だけだった。
「『兄が反乱軍に加わったことを告白しろ』と言われた」
「正直に言うと、私は彼らが聞きたがっている通りに話した。本当は(反乱軍になどは加わっておらず)、ここサルマダで援助団体を運営している実業家以外の何者でもないが」
拘置所では、自白を強要され、大切な人の前で拷問される女性や子どもたちの叫び声が聞こえたという。
1か月ほどして、モハメドさんの身柄は軍の情報機関に引き渡された。ただの「番号」として扱うと言われたのはこの時だという。
そこでは、幅1.2メートル、奥行き2メートル程度の独房に放り込まれた。横たわるのが精いっぱいの狭さで、房内には電気も水もなく、唯一の光源は頭上の天窓だった。
トイレに行くときは看守たちに裸にされた。かがまされ、視線を床に向けたまま連れていかれた。
彼らはモハメドさんを処刑すると脅し「お前はヒツジみたいに喉をかき切られるぞ。それとも逆さづりにされたいか? 串刺しの方がいいか?」と罵倒し続けた。
当然、外の状況は何も分からなかった。反体制派が北部からわずか11日間で進撃し、アサド政権軍が戦車や装備を放棄して逃走したことも知らなかった。
■「息子ではないよう」
「ある夜、房から出され、廊下に並ばされた。囚人同士で縛り付けられ、14人の列が2列できた。互いの顔を見たのはこの時が初めてだった」
「死ぬんだと思った」
そのまま1時間ほど立たされ、適当な房に押し戻された。「具合が悪くてトイレに行きたいと叫んだが、誰も来なかった」
「その後、ヘリコプターが着陸し、また離陸していく音が聞こえた。(今、思うと)看守たちを撤退させていたんだと思う」
数時間後、反体制派によって監房のドアはこじ開けられ、モハメドさんたちは解放された。「戦闘員が目の前に現れた。夢かと思った」