【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第25回 <関東大震災とベルギーから贈られた絵画と中禅寺湖畔の別荘>
中禅寺湖をとりわけ愛したのは、イギリスの外交官で、幕末に反幕の志士たちと交わり、駐日大使となったアーネスト・サトウです。 栃木県のパンフレットによれば、サトウは1872(明治5)年に初めて中禅寺湖を訪れ、1896(明治29)年に湖畔に山荘を建てています。そこには『日本奥地紀行』で知られる旅行家のイザベラ・バードも滞在しています。 今では日光から中禅寺湖へ「いろは坂」が通じていますが、人力車が通行できるようになったのは明治の半ばです。残された日記などによると、当時の交通手段は、徒歩か、馬、「椅子駕籠」、「担架のような駕籠」が頼りでした。駕籠は足の長い西洋人には窮屈で、多くは途中から自分で歩いて山道を登ったそうです。 『アーネスト・サトウ公使日記Ⅰ・Ⅱ』(長岡祥三訳、新人物往来社)には、湖畔で交流した友人・知人として、ベルギー、オーストリア、フランス、ドイツ、ロシア、ブラジルなどの公使が登場します。 ベルギー公使は、1893(明治26)年から日本に17年滞在して客死し、雑司が谷霊園に眠るアルベール・ダヌタン公使(男爵)です。エリアノーラ・メアリー・ダヌタン夫人は『日記』(『ベルギー公使夫人の明治日記』長岡祥三訳、中央公論社)の中で秋の奥日光について「これほど華やかな秋の紅葉を私は一度も見たことがなかった」と絶賛し、中禅寺湖で毎夏ヨットレースが行われ、サトウらと交友を深めたこと、皇太子時代の大正天皇を別荘前で迎えたことなどを記しています。 四半世紀後のバッソンピエール大使も『回想録』で「中禅寺湖は日本でももっとも魅惑的な景観をもつ場所のひとつである」とし、湖では水上スキーが盛んで、外交官や外国人たちは20~25隻の小さなヨットを持って楽しんだことを書き残しています。
■築95周年 特別公開された大使館別荘
ベルギー大使館の別荘は今年で築95周年を迎え、「栃木県誕生150年」と併せて特別公開(6月30日~7月2日)されました。幸いにも「1000名程度」の抽選に当たって訪ねると、1階のホールやサロン、テラスなどが見学でき、湖と男体山の絶景を楽しみました。 サロンに興味深い写真がありました。王子時代のフィリップ国王が、テラスで側近たちと食事を囲んでいる記念写真です。日付は「86・8・30」。1986(昭和61)年8月末、中国訪問の帰りに来日し、9月2日には浩宮時代の天皇陛下と鎌倉の円覚寺を訪ねていますから、その際の一枚でしょう。別荘は現国王も利用していたのです。