22歳の魂の叫び「原爆を許すまじ」 日本被団協を支えた歌があった
2024年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に大きな力を与えた歌があります。米国の水爆実験に揺れた70年前に作られ、反核運動を奮い立たせた「原爆を許すまじ」。当時22歳の作詞者が込めた「魂の叫び」とは――。 【写真】「原爆を許すまじ」の作詞者・浅田石二さん=2024年11月7日、神奈川県鎌倉市、田井良洋撮影 ■■「うたごえ運動」で全国へ ふるさとの街やかれ/身よりの骨うめし焼土(やけつち)に/今は白い花咲く/ああ許すまじ原爆を/三度(みたび)許すまじ原爆を/われらの街に 広島・長崎の被爆者は悲しみと怒りを胸に秘めて歌い、大衆も口ずさんで全国へ広がった。 作詞を手がけたのは、神奈川県鎌倉市に住む浅田石二さん(92)。東京南部の町工場で働く22歳の時、労働者や学生の「うたごえ運動」に呼応して筆を執る。日中戦争前夜に生まれ、太平洋戦争後の焼け跡を生きた文学青年。「戦争は二度と嫌だ。国家は信じられない」。そんな心情を韻律に込めた。 原爆の被害は占領軍の報道規制が解けるまで知るよしもなく、アサヒグラフの特集に衝撃を受けて想像力を働かせた。ビキニ事件で静岡の第五福竜丸が被曝(ひばく)した直後、2番の歌詞は「われらの海に」、国際平和を希求する精神から4番は「世界の上に」で締めくくった。
朝日新聞社