火事からの復活を遂げた老舗宿が50年後も価値のある宿をめざす〈前篇〉【長野県・湯田中温泉】松籟荘
美肌の湯をたたえる「桃山風呂」へ出かけてみよう
登録有形文化財の「桃山風呂」にも、ぜひ出かけたい。3年前の火事の際に焼失を免れた湯殿で、姉妹館・よろづやの中にある。 よろづやの創業は江戸時代の寛政年間。老舗の風格が漂うロビーを抜け、階下の温泉をめざす。 脱衣所の床はケヤキの寄木細工で、欄間にはキジの一生が描かれている。風呂入り口に見える「洒心(さいしん)」の文字は、「洒=洗い清める」という意味で、佐久間象山の手によるものだ。 現在、桃山風呂は立ち寄り入浴を受けていないので、この雰囲気を味わうことができるのは宿泊者だけである。 湯田中温泉の開湯は1300年以上前。僧智由が発見し、この湯で長生きできるようにと、長命・長寿を意味する「養遐齢(ようかれい)」と名付けたといわれている。 桃山風呂の着工は戦後まもなくの昭和26(1951)年、物資もなかった時代に遡る。5代目の小野博さんが「名物風呂を造りたい」と社寺建築に精通した地元の棟梁に頼んだ。 5代目館主は「人から『やめとけ』と言われると、『よーし、やってやる! 』と発奮するような剛毅な人」(小野社長)で、足りない予算を、戦前から蒐集していた美術品や書画を売り払い、なんとか工面した。納得いく風呂を造るために妥協せず、基礎に1年、建設に1年、彫刻に1年と足掛け3年をかけてようやく完成を見た。 内風呂の柱はスギ(修繕により、一部ヒノキ)、梁はケヤキで、宮大工の技で釘を1本も使わずに組んでいる。折り上げ格天井にはマツの一枚板が使われている。 こうした建築のウンチクを学べる「名建築に浸る、桃山風呂見学ツアー」(無料、要予約)は土曜日の10時から実施されるので、日にちが合えば参加してみよう。 松籟荘の客室はすべて露天風呂がついているから、外に出ず、日がな一日湯三昧と洒落込むのもいい。 注がれる温泉は無色透明のナトリウム-塩化物・硫酸塩泉。入るとつるりとした感触で肌をやわらかく包み込んでくれる美肌の湯である。 松籟荘と姉妹館のよろづや2館で3本の自家源泉を持ち、湧出量は毎分253リットル。桃山風呂同様、客室の露天風呂もかけ流しである。 源泉はセ氏93.6度と高温なため、井戸水で75度まで下げて、さらに湯口を絞り、適温になるよう調節しているそうである。 総ヒノキづくりの湯船は真新しく、それだけで気持ちが晴れやかになるのに加えて、浸かった湯の先に、木々の緑がまぶしい庭が眺められ、視覚からも癒やされる。湯船の形は客室ごとに異なるのでお気に入りを探してみよう。