コーヒーで旅する日本/関西編|多くの人の“笑顔が見たい”が原動力。尽きぬバイタリティでカフェの可能性を広げる「cafe ma-no」
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。 【写真を見る】バリスタの技術が凝縮したカプチーノ660円は、「Cafe ma-no」の代名詞 関西編の第89回は、兵庫県丹波市の「cafe ma-no」。店主の北さんはバリスタ、パティシエの修業を経て、開店後も、店の改装や地元農家とのコラボ商品開発、方々のイベントへの参加、インターンの受け入れなど精力的な活動を続けている。常に動き続ける北さんのバイタリティの源は、幼少時から持ち続ける「人の笑顔を見たい」という思いにある。近年は、店に併設した泊まれる美術館の開業や、遠く屋久島での社会実験的店など、カフェの枠を超えてオリジナリティを発揮する「cafe ma-no」。開店から12年、全力で駆け抜けてきた北さんの活躍の場は、今もさらに広がり続けている。 Profile|北 信也(きた・しんや) 1985(昭和60)年、東京都生まれ。兵庫県三田市で育ち、高校卒業後、神戸の洋菓子店でパティシエとして2年を経て、コーヒー店に入社。バリスタとして勤めた約7年の間にスペシャルティコーヒーと出会ったのを機に、競技会への出場など幅広い経験を積 み、2012年、丹波市に「cafe ma-no」を開店。地産素材を使ったオリジナル商品の開発やイベント出店、インターンの受け入れなど、 店を起点に精力的な活動を展開。2021年には店に併設した泊まれる美術館をコンセプトに「HUBHOTEL KITAYA」を、2023年に屋久島に月1度開くお店の「WAA ma-no」をオープン。 ■小学校の卒業文集に記した将来の夢を胸に 「笑顔が見たい」。その思いが、「cafe ma-no」のモットーであり、ひいては、店主・北さんのモチベーションの源にある。今にいたる原点は、幼少期に訪れたたこ焼き屋での記憶だ。「目の前の鉄板で焼いて、できたて熱々を頬張ると、誰もが笑顔になる。その瞬間がすごく心に残っていて。小学校の卒業文集にも、“将来はたこ焼き屋になる”と書いたくらい」と振り返る。長じて、飲食の仕事を志し、自身の体験を表現する場はカフェという形になったが、その間も、お客の笑顔を見ることが変わらず原動力であり続けている。 神戸でパティシエとして働き、開業を目指してカフェの柱となるコーヒーを学ぶため、コーヒーショップで経験を積んだ北さん。当時はコーヒーの良し悪しもわからないでいたが、「社内の研修セミナーに参加したときに飲んだ、エチオピア・イルガチェフが衝撃的で。“なんだこれは⁉”と驚いたのが、スペシャルティコーヒーとの最初の出会い。そこから本格的にコーヒーの勉強を始めました」。その一環として、バリスタの競技会にも出場。会場では他店のバリスタとの交流を通して、当時大きく変わりつつあったコーヒーの知識や技術を吸収していった。なかでも、「親身にいろいろ教えてもらった」という、当時、珈琲屋めいぷる所属だった菊池バリスタは、後に東京のスペシャルティコーヒー専門店の草分け、NOZY COFFEEに転身。「そのころ、シングルオリジンをいち早く提案した店の一つで、菊池さんのストイックな姿勢にも惹かれました」という北さん。その信頼感から、「cafe ma-no」でも開店以来、NOZY COFFEEの豆を仕入れている。 一方、地元の三田市での開店を考えていた北さんだが、これはという物件がなく、さらに北の丹波市まで足を延ばして見つけたのが現在の場所だ。「ここに決めようと思ったときに、一度は他の人に決まったものの、半年ほどで運よく空いたんです。ただ、最初は中がぐちゃぐちゃの状態でした。それでも、コツコツとセルフビルドで直しながら、店を始めました」と北さん。2012年の夏から1年半ほどは、営業をしながら店の改装を並行していたとか。はじめのころは、木くずまみれになりながらお客の対応をしていた時期もあったそうだ。このとき、改装を手伝ってくれたのは、小学校時代の同級生。「たこ焼き屋になる」と書いた、あの卒業文集のことを覚えていてくれた仲間たちだった。 当初、開店の告知もぜずに、時間をかけて丁寧に店を造っていくことに集中したのには理由がある。「地元の又隣の町と言っても、自分はやはり新参者。当然、来る人はまばらでしたが、それでも入ってみようと思う、冒険心のあるお客さんを待っていました。そういう方の来店動機として、“この体験を誰かに話したい”というのが大きい。僕は自分が持っている思いを伝えたくて店を始めたから、このときに入ってこられた方々は、こちらの話をすごくよく聞いてくださるんです」。果たして、このころに訪れた勇気あるお客を皮切りに、「cafe ma-no」の存在は口コミで徐々に広がっていった。 ■コーヒーが苦手な人へのアプローチを徹底 開店当時から、「cafe ma-no」の不動の看板メニューがカプチーノ。バリスタの技術がすべて詰まった、この店を象徴する一杯だ。「バリスタの技術が表現できて、かつ見た目がかわいい。この一杯に、自分が大切にしていることが詰まっています。当時、この界隈では、ちゃんとしたカプチーノを飲んだことがない方も多かったこともあって、何より、この魅力を伝えたかった」と北さん。NOZY COFFEEから届く時季ごとのスペシャルティコーヒーは、抽出のブレが少ないフレンチプレスで、多彩な個性を提案。もちろん、クオリティには自信をもってすすめられる豆を吟味しているが、ことさらコーヒーを前面に出すことはない。むしろ、あえて目立たせないと言ってもいいくらいだ。 「元々は自分も、コーヒーは苦手で、苦いものだと思い込んでいたのが、専門的に学ぶ中でおいしさを知ったから、多くの人が持つ先入観を覆して、本来の魅力を広めたい。そのためには、コーヒー好きな人でなく、むしろ苦手な人に届けて、その理由を紐解き、思い込みが変わる感動を伝えることが大事。だから、本当はコーヒーで勝負できるけど、まずは苦手な人も含めてフラットに入ってもらえるように、あえて前面に出していないんです」 メニューには豆の説明よりも、カップをオーダーする窯元の説明のほうが多いくらい。その心は、「絵を飾るとき、実は額縁もとても大事。コーヒーも、家では味わえない体験をしてほしいから器や空間にこだわる。逆に言えば、他のすべての要素はコーヒーを飲んでほしいがためのアプローチの一つ。まず店に入ってもらうために、この空間があり、ランチやスイーツなど他のメニューがある」と、徹底してコーヒーに対するハードルを下げることに腐心する。 それゆえ、コーヒー以外のメニューのクオリティが重要になる。ケーキや焼菓子に使う牛乳や卵、ランチにたっぷり盛り込む旬の野菜は、生産者の顔が見える食材を吟味。開店以来、地元丹波の農家を訪ねて交流を深め、店では作り手のストーリーをとことん伝える。さらに、そうした素材を使った、オリジナル食材も開発。なかでも、農家と共に生姜の栽培から取り組んだジンジャーシロップは、いまや多くのファンを持つ人気商品だ。「体にいいもの、かつ、おいしいものを目指した。丹波の名産は昔からおいしい農作物のイメージが強いですが、これから気候変動などでできなくなるかもしれない。次の名産を作ろうとしてもすぐにはできないので、今から作ろうと生姜の栽培を始めました」。一方で、エスプレッソを使ったコーヒージュレやグラノーラなど、バリスタ・パティシエの二刀流を生かした商品も数多い。この店のオリジナリティはすべて、「笑顔が見たい」という思いから発した行動力の賜物なのだ。「カフェの中でナンバーワンになることは難しい。バリスタのチャンピオンだって毎年変わりますから、それならオンリーワンを目指したほうがいい。自分のように木工やスイーツの技術、工芸建築を得意とするバリスタはいないので、それらの掛け合わせが店の個性になっていると思います」 ■カフェの枠を超えて広がるアイデア おもしろそうなことは何でもやる。常に人を楽しませる、そんな北さんの活躍の幅は、もはや、カフェの店主に止まらない。「ma-no」で学びたいという人をインターンとして受け入れ、それぞれの目的に合わせてプログラムを作って共に活動したり、県内外のイベントにも積極的に駆けつけたり、多くの人に出会うことで自らの世界もどんどん広げてきた。縁もゆかりもなかった丹波で、北さんはいまや地域のハブとして欠かせない存在になっている。「ma-no」とはイタリア語で手の意味。いろんなモノ・コト・人をつなげる手となる場所にとの思いを体現する店の、新たステージとなるのが、2021年に階下にオープンした泊まれる美術館「HUBHOTEL KITAYA」だ。 クラウドファンディングで賛同者を募り、ここを訪れる人と地域の暮らしや人をより深くつなげようという試み。そこには、カフェの限界を感じたことも理由の一つにあった。「カフェに来るだけなら、飲食を楽しむ機会は1回しかないが、泊りなら3回はある。さらに、食べておいしかった素材の生産者にも会いに行ける。人数を絞って深い体験をしてもらい、好きなことを共有するための場所です。滞在してみないとわからないことがありますし、実際に感動される方が多い」と北さん。1日1組限定、「ma-no」の世界観を表現したホテルのコンセプトは“Do a Child”。“子どもをする”という意図に、単なる宿泊以上のメッセージが込められている。 「子どものころ、“早く大人になりたい”と思ったのは、自分で何でも好きなようにできるから。でも、今、本当にそうなれているかという疑問は誰にもあるはず。当時の憧れを、実際に全力でやってみせたのが空間。ここは納期も予算も取っ払って、時間はかかるけど、作るほうも常に“これが自分の最高か?”と問いながら作り上げました」。そんな「大人の全力」が満ち満ちた空間に身を置くと、「自分もなんかやりたい、という気持ちが、ここに来られた方にも移るんです」と北さん。地下へと続くトンネルを抜けると、そこはまさに子どものころに憧れた秘密基地の趣。思わずテンションが上がる。 中に入ると、雨を下からのぞくスケルトンの出窓空間。壁にはアリの巣のように小さなトンネルや通路が開いていて、這っていったり、くぐったり、子どものころの動きが自然と戻るような仕組みが随所に張り巡らされている。他にも秘密の隠し部屋や、トイレ、風呂にいたるまで、意想外の仕掛けが満載。体験を通して非日常の感覚を刺激する、客室というより、むしろ体験型アートと言ったほうがいい。「飲食の記憶はすぐに消えてしまうので、残るものは何かと考えたのがアートでした。後々に記憶に残るもの、価値が上がるものを作ろうと。だからここは、泊まれる美術館でもあります」。カフェの限界を感じたことから生まれたこの場所は、また、カフェだからこそなしえた空間でもある。飲食が主目的ではないからこそ、好きを共有するために何でもできる。カフェというイメージ自体を覆し、拡張していくような痛快さがある。 また、2023年には、屋久島に社会実験的な店が誕生。月に一回、北さんが現地に赴いて営業するポップアップのようなスタイルだ。「観光地ゆえに、地元の人々は島外の食を楽しむ機会が少ないことに気付いて、違う土地のものを持っていって、島の人に味わってもらう。お互いに行き来できるし、ゲストハウスも相互利用できる」と、遠く屋久島にもこの店のファンは広がっている。開業以来、常に全力で駆け抜けてきた12年。「ここまで、やりたいことをやってきました。次に何やるかはわからないですね(笑)」と笑う北さん。尽きぬバイタリティで、笑顔を増やしていく。 ■北レコメンドのコーヒーショップは「太山寺珈琲焙煎室」 次回、紹介するのは、兵庫県神戸市の「太山寺珈琲焙煎室」。 「店主の横野さんは、バリスタ修業時代の一時期、同じカフェで一緒に働いた仲。独立後も、うちのコーヒージュレの卸先でもあり、交流が続いています。お寺の境内という立地がユニークで、由緒正しい雰囲気があり、うらやましい環境。独特のロケーションもあって、幅広い年齢層の地元のお客さんが訪れています。お店を訪ねる時は、近くのラジウム温泉に入って帰るのが定番です」(北さん) 【cafe ma-noのコーヒーデータ】 ●焙煎機/なし(NOZY COFFEE、TAOCA COFFEE) ●抽出/フレンチプレス、エスプレッソマシン(シモネリ) ●焙煎度合い/浅煎り~中煎り ●テイクアウト/あり(500円~) ●豆の販売/シングルオリジン約4~5種、100グラム1200円~ 取材・文/田中慶一 撮影/直江泰治 ※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
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