気仙沼の自称「田舎のおばちゃん」集団が、なぜ日本を代表する写真家たちと『気仙沼漁師カレンダー』を作れたのか?
藤井保から始まり瀧本幹也で終わる――2014年版から2024年版まで、日本を代表する10名の写真家が撮影を担当した『気仙沼漁師カレンダー』。国内外で多数の賞も受賞し、写真界などでも大いに注目を集め話題となりました。そんな『気仙沼漁師カレンダー』の10年以上にもわたるプロジェクトの歩みを描いたノンフィクション『海と生きる 「気仙沼つばき会」と『気仙沼漁師カレンダー』の10年』(著者:唐澤和也)が発売となった。地元を愛する女性たちだけの会「気仙沼つばき会」さんの「街の宝である漁師を世界に発信したい!」という強い想いから始まった、このカレンダー制作の舞台裏と歴史を多数の証言で綴ります。 【画像】2014年版から2024年版まで全10作の『気仙沼漁師カレンダー』 今回は、本書の「プロローグ」を一部抜粋・再構成してお届けする。
漁船に飾られた「気仙沼漁師カレンダー」
漁師町である気仙沼には、ふたりの〝てづいっつぁん〟がいた。 2024年2月のことだ。てづいっつぁんとは、漁師である小野寺哲一 ( てついち ) の地元での愛称である。同じ人間がふたり同時に存在するなんて奇妙な話だが、気仙沼のあるところ限定で、たしかに、てづいっつぁんがふたりいるのだ。 そのことに気づいたのは、後輩漁師の山崎風雅だった。 1958年生まれ、漁師歴40年の小野寺は、『気仙沼漁師カレンダー2024』を自分の船「第53長栄丸」に飾っていた。 ふたりにとっての職場に飾られたカレンダーは、見開きB3判の大きさで、その1ページに大きく写真が掲載されているのが特徴だった。 船に飾られたカレンダーの1月の写真では、大きなメカジキを抱える3人の漁師が笑っていて、「気仙沼らしくていいなぁ」と山崎も感じていた。 ところが、2月になると何度も笑いをこらえないといけない瞬間が増える。 2月の海の男が、いままさに目の前で魚を追いかけている、てづいっつぁんその人だったからだ。 「第53長栄丸」の前に立ち、手には高級魚のサヨリをやさしく持ちながら、「船とは?」との問いに「宝物だっちゃ」と答えている。 山崎は、本人には言えない言葉を心の中でつぶやくしかない。 「てづいっつぁんがふたりいるよ。本物とカレンダーのてづいっつぁんが」 尊敬する先輩を笑ってはいけない。でも、リアルてづいっつぁんとカレンダーのてづいっつぁんのコラボレーションは、同じ船に乗って仕事をするその後輩だけが見ることができる、自然と口角が上がる風景だった。