平原綾香 19歳のデビュー曲で「Jupiter」を選んだ理由「子どもたちの平和を祈る気持ちは、亡き父から受け継いで」
◆デビュー決定後の多忙な日々 デビュー当時は、自分の声がどこまで出るのかすら知りませんでした。レコーディングやコンサートツアーなど、突然喉を酷使する生活に変わり、身体がビックリしたのでしょう。デビューして2年ほどは、毎日風邪を引いているような状態でした。歌は独学なので、自分で研究する楽しさを今も感じています。 学校と音楽活動の両立でとにかく忙しかったので、どうしても減ってしまう睡眠時間を、移動中の車だけでなく、寝ながらメイクをしてもらって補っていました。 楽屋が畳の場合は、そのまま横になった状態でメイクしてもらいます。ソファで寝ながらメイクや、時にはパイプ椅子を並べて簡易ベットを作ることも。コンサートツアーでは、いつもマッサージベットを持ち歩いて寝ています。一見やりにくそうに見えますが、メイクさんいわく、横になることで顔に均等に光が当たってメイクしやすくなるのだとか。とはいえ、メイクさんの素晴らしい技術の成せる技です。デビュー以来、今日に至るまでずっと、睡眠不足の日は、このやり方でメイクをしてもらっています。
◆だったらずっと悲しいままでいい 歌に悩んだ時は父に相談していました。「こういう声を出したいんだけど、どうすればいいかな?」と聞くと、「サックスで吹くとしたら、息のスピードはこれくらいで、息の方向はこれくらいだと出るから、そんなイメージで歌ってみたら?」と。その通りにすると、本当に歌えるようになりびっくりしました。 また、サックスで吹けないフレーズがあったときは、「まずは楽器をおいて歌ってごらん」と。実際に歌ってみると最初は歌えなくて、歌えるようになるまで練習し、それからサックスで吹いてみると、不思議とちゃんと吹けるようになるんです。 父は、2021年に亡くなりました。69歳でした。もう三回忌も済んだのに、父がいなくなったことがまだ信じられず、今もふとした時に泣いてしまいます。 その一方で、これまで「悲しい」という感情はマイナスなものだと思っていたのですが、今は父を思い出して悲しくなるのは悪いことではない、と考えられるように。悲しいのは、父を忘れていないということ。だったらずっと悲しいままでいいや、と思うようになりました。
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