平原綾香 19歳のデビュー曲で「Jupiter」を選んだ理由「子どもたちの平和を祈る気持ちは、亡き父から受け継いで」
◆「Jupiter」原曲との出会い デビューのきっかけは、高校時代の文化祭です。映画『天使にラブソングを2』のミュージカルで歌った映像がレコード会社に渡り、それまでサックスを吹いていた私が、歌手の道を歩むことに。音大在学中の19歳の時に、「Jupiter」でデビューしました。 なぜデビュー曲が「Jupiter」になったのか。曲を決める時期、私にはその時どうしても伝えたいメッセージがあったのです。 それは、2001年に起きた9.11事件のこと、あるひとりの少女の生き方、その当時自分が抱えていた心の中にある葛藤でした。 ニューヨークは私にとって初めての海外。当時、姉がボストンのバークリー音楽大学に通っており、両親と3人で会いに行った際に立ち寄りました。その約2年後に9.11事件が起こります。ニュースでみた、思い出の貿易センタービルがなくなってゆく光景……。月日が経っても心に焼きついて離れず、いまだ世界中が混とんとする中でデビューすることになった私は、人々の心が少しでもあったかくなるような歌を歌いたいと思うようになりました。 当時、抱えていた心の葛藤を母に相談したことがあったのですが、その時に教えられた「ありのままであること」へのメッセージは、私の人生を大きく変えました。「この思いを歌詞にしてみたら」と背中を押され、それから私は無心で歌詞を書き始めました。2003年4月に放送された、難病を抱えた少女アシュリー・ヘギちゃんのドキュメンタリーは、さらに私の背中を押してくれたように思います。 この思いを表現できる曲は、どんな曲だろう。最初は自分で作曲をし、模索する時間が続きました。一方で、レコード会社からはデビュー曲候補としてラブソングの提案もありましたね。 そんな中、ジャズ科のサックス専攻で入学した音大の授業でホルストの組曲『惑星』の「木星」に出会います。聴いた瞬間、涙がブワッとあふれ、ずっと探していた人に会えたような懐かしい気持ちになりました。この思いを、この曲にのせて伝えられると感じ、授業が終わって直ぐ「木星に歌詞をつけてカバーさせてもらえないか」とレコード会社に電話したのが始まりです。
【関連記事】
- 平原綾香、最愛の父でサックス奏者・まことさんが亡くなって1年。悲しみが癒えることはなくても「幸せ」だと前を向ける理由とは
- AIが語る朝ドラ『カムカムエヴリバディ』主題歌「アルデバラン」制作秘話「約10曲を制作した後、森山直太朗さんに作詞作曲を依頼。出来上がった曲は想像以上で」〈前編〉
- 川中美幸「八代亜紀さんがお年玉を渡す姿が忘れられない」藤山一郎「東京ラプソディ」から秋川雅史の「千の風になって」まで、テイチク90年の軌跡
- 新妻聖子「ブランチのリポーターから帝劇の『レミゼ』で衝撃のミュージカルデビュー。いまは息子の成長が1番の喜び」
- 石川さゆり「65歳、NHK『紅白歌合戦』紅組最多出場記録46回を更新!名曲を歌い続け、時代のにおいを運ぶ《風》でありたい」