時代映す 十字路のにぎわい 京都 四条河原町交差点 昭和100年 まちの今昔
京都最大の繁華街・四条河原町。東西に延びる四条通と河原町通が十字に交差することからこう呼ばれ、周辺には百貨店のほか飲食店や商店が多く立ち並ぶ。そのにぎわいから「京都で一番移り変わりの激しい場所」との声もあり、路面電車の敷設やそれに伴う道路の拡幅など、周辺の街並みは昔も今も時代の映し鏡だ。 ■運河が発展の転機 古くから商店が並び市中心部を東西に結ぶ通りとしてにぎわいを見せていた四条通に対し、河原町付近が街としての存在感を高めていったのは、江戸時代に開通した運河による影響が大きい。 現在の四条河原町交差点から東へ100メートルほどの位置にある高瀬川は、木屋町通に沿うように南北に流れる。大坂、伏見と京の市街地を結ぶ運河として慶長16(1611)年ごろに開削工事が始まり、数年後には運用が始まったといわれる。これ以降、人や物資が集まる拠点として問屋街が形成されるなど、周辺は繁華性を帯びていく。 ■電車で利便性向上 また、明治から昭和にかけて敷設された路面電車も周辺の発展に影響を与えた。四条通には明治45年に四条線が開通。河原町通にも大正15年に四条河原町交差点から北向きに路線が通り、その後、南側にも電車が走った。以前は四条通と交差する南北通は寺町通や木屋町通が主だったが、道路が拡幅され雰囲気は一変。交差点の角を見晴らしをよくするために削ったとされる。 昭和11年ごろの四条河原町の写真には、電車の往来や人々が行き交う姿がある。 こうした動きと並行して大正4年には京阪電鉄が三条まで線路を延ばし、昭和38年には阪急電鉄が大宮から河原町まで延伸した。いずれも大阪まで1本の電車でつながることになり、四条河原町の交通利便性は大きく向上することになる。 京都市歴史資料館の井上幸治さんは「鉄道ができたことで人の流れが変わり、街の発展に大きく貢献した」と話す。 ■百貨店や娯楽施設 人の往来が増えたことで、周囲には映画館などの娯楽施設が増えていった。現在の京都高島屋S.C.の西側部分には、スケートリンク「アイスパレス」があったとの記録が残る。高島屋のほか、周辺には現在でも大丸京都店や藤井大丸といった百貨店がある。国内外の有名ブランドが軒を連ねるようになり、年々増えているインバウンド(訪日客)の往来の多さも時代の流れを感じさせる。