地下鉄サリン事件から20年 テロ組織へ突き進んだオウム真理教
1995年3月20日。月曜朝の地下鉄は、いつものように通勤客らを東京都心へと運んでいました。午前8時過ぎ、霞ヶ関駅を通る千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線5車両の車内で猛毒サリンがまかれました。地下鉄サリン事件です。オウム真理教による犯行でした。霞ヶ関や築地駅はサリンを吸ってしまった乗客らでまさに阿鼻叫喚。たくさんの方が死傷し、いまだに後遺症に悩む被害者も数多くいます。 【写真】オウムの本質はサリン事件の頃と「変わらない」 地下鉄サリン事件は、1994年6月の松本サリン事件と合わせて、世界初の化学兵器テロとされます。しかし事件から20年が経過し、オウムが起こした一連の事件をよく知らない世代も出てきました。ありふれた宗教団体からテロ組織へと豹変したオウム真理教。ここで改めて、オウムとはどういう集団だったのか。元公安調査庁東北公安調査局長の安部川元伸氏に寄稿してもらいました。(敬称略)
20年前の「あの日」
早いもので、あのおぞましい「地下鉄サリン事件」から20年が経とうとしています。同事件で死亡された方は13人 、負傷者は約6000人を数え、現在も多くの方が後遺症に苦しんでいるといわれます。 私は、事件当日の朝、いつものように地下鉄千代田線で職場がある霞が関に向かっていました。その時間、サリンの散布自体は終わっていましたが、列車は数駅前で何度か止まり、最終的に国会議事堂前で引き返すとのアナウンスが流れました。国会議事堂前から徒歩で職場まで向かうと、霞ヶ関の駅周辺は大変な騒ぎになっていました。その時点では、私は何か大変な事故が起きたというくらいの認識しかありませんでした。 職場に着いてニュースを見ていると、何者かが地下鉄3路線の車中で何か毒性のガスを撒き、夥(おびただ)しい数の死傷者が出たことを報じていました。この当たりで“ハハァ”と思った職員は多かったと思います。公安調査庁では、誰もがオウムの欺瞞性、反社会性に強い警戒心を抱いていたからです。「やったのはオウムに違いない!」と。