極寒のキャンプ…監督がメディアについた“ウソ” 駐車場で自主トレ、新球団の衝撃発進
松沼博久氏は新生“西武ライオンズ”に入団…施設がまだ整っていなかった
環境に驚きの連続だった。野球評論家の松沼博久氏は、「西武ライオンズ」がスタートした1979年に新人王に輝くなど、アンダースローの先発として西武一筋で112勝をマークした。「びっくりしました」。自身と同じ投手で、4歳違いの弟・雅之氏と一緒にドラフト外でプロ入りした1年目の自主トレ、キャンプを回想した。 【写真】西武左腕の“彼女”が「美人すぎ」 恋人繋ぎで登場に大注目「可愛い」 「まだ球場ができていませんでしたからね。いろんな場所でやるとは聞いていました」と松沼氏。クラウンライターから西武となったライオンズは、本拠地を福岡市から埼玉・所沢市に移転。新スタジアムの西武球場(現ベルーナドーム)は工事で4月の開幕直前まで使えなかった。 1979年1月に正式契約したルーキーの松沼氏は言うまでもなく、九州からやって来た先輩たちも西武グループの関連施設で始動した。「僕は新人でしたから何も分からない状態です。だから従うしかなかったんですけど」。 まずは自主トレ。「品川プリンスホテルで着替えました。すぐ近くに高輪プリンスがあって、そこに行くんです。駐車場のような広場でランニングをした記憶がありますね。コンクリートの上だったので、さすがにびっくりしましたけど」。エースの東尾修、変則サウスポー永射保ら主力投手らも参加していた。東京・高田馬場のスポーツジムにも赴いた。「走って、プールもありましたね」。 フレッシュな西武は行く先々で注目を浴びた。第1次キャンプは西武グループのホテルがある伊豆の下田。最寄りの駅に到着すると、ライオンズのユニホームを着用した市長が出迎えた。歓迎式典も行われ、約2000人の市民が集まった。「華やかではありました。ただ、グラウンドには驚きました」。 当時の下田の“球場”を松沼氏は、こう表現する。「球場じゃなくて四角いグラウンドでした」。プロ野球のキャンプを受け入れるため、元々は陸上競技場だった施設を改修。左翼が102メートル、センターが95メートル、右翼80メートルとかなり変形していた。「ライト側には海がありました」。観光地らしく風光明媚ではあったのだが……。