世界的ベストセラー『大聖堂』、日本語版で矛盾発覚…伝説の校閲者が明かした今だから言える大事件
テレビドラマ「校閲ガール」でその存在が注目された校閲者。 ひとつの言葉、ひとつの表現にこだわる日本語のプロとして本作りに欠かせない校閲者たちは、個性豊かな文芸作品とどう向き合っているのか? 【漫画を読む】そもそも文字が読めない原稿も 校閲者の知られざる日常とは? 新潮社の校閲部をモデルに、普段ほめられることはなく、陽の当たることのない縁の下の力持ちを描いた漫画家のこいしゆうかさんが、伝説の校閲者といわれる元校閲部長の矢彦孝彦さんに、校閲の仕事や作家とのエピソード、今だから明かせる驚きの事件を聞いた。 ※本稿はマンガ『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』(新潮社)の刊行を記念して行われた対談です
矢彦孝彦×こいしゆうか・対談「校閲者を漫画にしたら」
矢彦 すみません、これ(ペットボトルのお茶)ちょっと開けてもらえませんか? いや~握力が落ちまして、最近できないんだこれが。来年で77歳、喜寿になるもので。 こいし それでまだ校閲のお仕事されているのはすごいです! 矢彦 いや、もう終わり。このあいだ、塩野(七生)さんの『ギリシア人の物語』の最終巻をやって、おしまい。……って言ってたんだけど、すぐに校閲部の人から「今度出るこの作品、お願いできませんか?」って(笑)。さすがにお断りしましたけど。 こいし 前にこの漫画の取材でお会いした時、ご病気された後だったのでお酒は控えていると言いつつ割と飲んでいたのが印象的でした(笑)。 矢彦 それでも酒量はやっぱり減りましたよ。昔はひどかったですから。でも、我が校閲部は飲みに行くような人がいなかった。仕事終わるとささっと帰るんだよ。いつも飲んでるオレみたいなやつがいなくてね。でね、部長の時に雑誌とかのインタビューで「どうすれば良い校正者になれますか?」とよく聞かれるから、「毎晩酒を飲みに行くんだよ」って言ったらウケちゃって。良い校正の秘訣は酒場に行くことだって新潮社の校閲部長が言ってるって広まっちゃってね、ははは。 こいし キャッチーで良いです! 実際、私もそのお話をお聞きした時に面白いと思い、ストーリーの中に組み込みました。ただ飲みに行くだけじゃなくて、校閲者の信念みたいな深い理由があるのが素敵で、それを描きたかったんです。レジェンド校閲者として矢彦さんをまさに居酒屋のシーンで登場させたら、描きたいことが膨らみ前後編にまでなったのですが、ネーム(漫画を描く前のラフのことで、絵コンテのようなもの)がほぼ一発で編集者を通ったのはあの回が唯一でした。 矢彦 それはうれしいね。僕の話を聞きたいと編集者を通して最初に言われたとき、どうやって校閲者の世界を漫画にするんだろうと思って。全くイメージが湧かなかったから渋ってたんだけど(笑)。そもそも、どうしてこいしさんは新潮社校閲部をモデルにした漫画を描こうと思ったの? こいし 編集の方から提案を受けたのがきっかけではあるんですけど、実は私自身、校閲とか校正のことをあまり理解していなかったんです。でも、私たち描く側の人間とは馴染みがない距離にいながら、本を作る上では必要な人たちということに興味がありました。出版社の知り合いからは、社内に校閲部を持つ会社は数少ないと聞きましたし、中でも新潮社さんは文芸出版社としての歴史が長く、校閲に力を入れていて他社とも全然違うと知って、その世界を物語として描いてみたいと思ったんです。 矢彦 うんうん。新潮社の歴史は創立者の佐藤義亮が印刷所で校正をしたことから始まっているからね。だからこそ校正に重きを置く伝統があるし、独自の技術とか経験、ゲラ(試し刷りのこと)を通しての作者とのエピソードには事欠かない。フィクションの形を取ってるけど、それが漫画で読めるというのは面白い。でも、これは使えるって話を聞いても、文芸だと作者との関係性もあるから描けない話も多いんじゃない? (笑) こいし それはあります(笑)。そういう時は、似たような別の話に置き換えるとか、作者さんが特定されないような描き方をするとか工夫しています。ストーリー自体はフィクションですし。ただ、最初は校閲者の世界が本当にわからなさ過ぎて……。校閲者の方に取材を重ねるうちに、個性とか人間性はわかるようになって来るんですよ。でも、いざ漫画を描こうと思った時に、ゲラにどんな鉛筆を入れる(疑問を書き込むこと)のかとか、どういう時に葛藤するのかとか具体例が必要で、でもなかなかそこまで細かいことを覚えている方って少ないんです。それに普段、人とあまりコミュニケーションを取らなくても成立するお仕事ですよね。そういう方々からお話を聞き出すのって難しいんだなって思いました。 矢彦 これは漫画になんかできないって思わなかった? こいし 思いました。未知数だし、無理だなって(笑)。 矢彦 そうすると、どの段階でやれそうだと腑に落ちたんです? こいし いや~いまだにちゃんとわかってないような……(笑)。「小説新潮」での連載は続いていますが、毎回毎回、試行錯誤していますね。 矢彦 それはそうでしょう。誰かに説明するのも難しい世界。それに、動きがあるような仕事じゃない。それなのによくここまでのものをお描きになっているなと、拝読して感心しました。おかしいと感じるところも全くありませんし。