300年の歴史ある祭り、資金対策“80万円の観覧席”の満足度 20万人が見物、富山の豪商が興した「おわら風の盆」
ただし、橘さんによれば、いま我々が見る唄と踊りの形が完成したのは、そんなに昔の話ではないという。 「明治・大正の頃のおわら節は、もっとテンポが早く、女性が1人唄い始めると、これに続いて合唱するようなにぎやかなものだった。それが昭和初期に、今の『新踊り』と呼ばれる振り付けが完成すると、早いテンポでは踊りきれないし、よさが出ないということで、ゆったりとした、ちょうど人間の心拍数(1分間に60回前後)と同じくらいの心地よいテンポになった」
■法被は1着30数万円 このような財力を背景に成立した伝統ある祭りを継承していくには、費用の面での苦労も多いだろうと想像されるが、実際はどうなのか。 「一番値が張るのが、男衆が身につけている、各町の町紋を背中にあしらった法被だ。正絹(しょうけん=100%絹糸を使って織られた生地)を使っているので、染代も含めると1着30数万円はする。しかし、残暑の厳しい時期に踊れば汗だくになるので、せいぜい長持ちしても10年くらいで作り替えなければならない」(橘さん)
衣装の作り替えのための費用は、各町ごとに月々、町内会費のような形で徴収し、基金として貯めておくが、足りない分は各家に負担をお願いするという。また、衣装だけでなく地方(じかた)が使う楽器も、当然のことながらいいものを使っている。 「三味線のトップクラスの連中が弾いているものは、1棹200万~300万円はする。また、どこかのご子息が新しい三味線を買うという話になったときには、親御さんが追銭してでも、いいものを持たせようという気風が、この町にはある」(橘さん)
このような「本物を残そう、伝えよう」という住民の気概に支えられて継承されてきたおわら風の盆だが、少子化に加え、コロナ禍においては2年間の中止を余儀なくされ、継承の危機に立たされたという。 「八尾では、踊り手は年代によって衣装が変わるが、子どもたちなりに、次は中学生の衣装を着るからということで一生懸命に練習に励む。とくに高校生から成年になると、衣装もまったく変わるので、大人の踊りを目指す。不思議なことに、年にたった3日間だが、おわら風の盆の本番を経験することで踊りのレベルが一気に上がる。それが2年間できなかったのは大きく、私見だが、八尾のおわらのレベルが下がったと感じた」(橘さん)