300年の歴史ある祭り、資金対策“80万円の観覧席”の満足度 20万人が見物、富山の豪商が興した「おわら風の盆」
ぼんぼりの灯りに照らされた日暮れ後の町に、哀愁を帯びた太鼓と三味線、胡弓(こきゅう)の音曲が流れ、甲高い声の越中おわら節が響き始める。やがて、編笠を目深にかぶった揃いの法被(はっぴ)姿の男性と浴衣に身を包んだ女性の集団が姿を見せ、おわら節に合わせて優美な振り付けで、町の通りを踊り流していく。 【写真】2階からゆったりと祭りを観賞できる、1組80万円の「町屋貸切 特別観覧席プラン」 富山県富山市の八尾で、毎年9月1日から3日に催される「越中八尾 おわら風の盆」は、例年3日間で約20万人もの見物客が訪れるという。
近年、各地の祭りやイベントで、少子高齢化による祭りの担い手不足や事業資金の捻出に頭を悩ませているとの声を聞くが、おわら風の盆のような、全国的に名の知られた祭りでも事情は同じであり、今年から祭りを保存・継承するための新たな取り組みを始めたという。どのような取り組みが行われているのか、9月1日に現地を訪れ、取材した。 ■藩財政を支えるほどに繁栄した八尾 おわら風の盆は、江戸時代の元禄年間に始まり、およそ300年の歴史を持つ。現在は、八尾(2005年に富山市に合併されるまでは婦負郡八尾町)の旧町と呼ばれる鏡町、上新町、諏訪町などを中心に合計11町で行われており、各町それぞれが独自の衣装で踊りを披露し、見物客の目を楽しませている。
【写真】特別ステージの鑑賞や特別弁当などがセットになったプラン、推し活グッズの販売会場、1640点売れた「応援うちわ」、2階から祭りを観賞できる80万円の「町屋貸切 特別観覧席プラン」で使用された町家2階 八尾のおわらは、唄も踊りもきわめて洗練されていることから「芸術民謡」とも言われるが、なぜ、飛騨山脈の麓の小さな町に、これほどまでに洗練された踊りが継承されているのか。おわら風の盆行事運営委員会演技部会長の橘賢美さんは、次のように話す。
「八尾はもともと和紙と養蚕で栄え、富山藩の御納戸所(おなんどどころ=財政蔵)とされた。だが、町方があまりに財力を蓄えすぎると、藩にとって都合が悪い。八尾には5月3日に行われる、京都の祇園祭にも似た越中八尾曳山祭もあるが、こうした豪華な祭りは、各町にお金を使わせるための藩の政策だったのではないか」 このように富山藩の財政を支えるほどに繁栄した八尾には、「上方や江戸の清元、常磐津(ときわづ)、都々逸(どどいつ)、浄瑠璃、謡曲など芸事をたしなむ達人が多くあり、一家に一棹三味線があった」(「おわら風の盆公式ガイドブック」)という。こうした文化的な成熟が、「芸術民謡」を生む下地になったのだ。