「そして人とのつながりは完全になくなった」京アニ放火殺人、青葉被告の軌跡(後編)
7月に入ると、支援者らが集まって「ケア会議」を開き、今後の方針を検討した。7、8月は定期訪問を続け、会えない状況が変わらなければ、9月から生活保護費の手渡し支給とすることが確認された。事件の2週間前だった。 ▽絶望から衝動へ 以上見てきたように、青葉被告のアパート生活は薄氷を踏むような危なっかしいものだった。支援の現場はそれなりに機能し、被告の悪化する状況に対処しようと動いていたとも言えるが、人間関係をつなぎとめられなかった。被告は小さな部屋で絶望のうちに破滅的衝動を急速に募らせ、そして暴発した。 青葉被告は公判で次のように述べている。「自分の人生を振り返ったとき、人とのつながりが完全になくなったときに犯罪行為に入る共通点がある。訪問介護(看護)が来ているので、そういう考えに至らなかったと考えて間違いありません」。こうも振り返った。「(犯行を踏みとどまっていたのは)自分の最後のエネルギーと小さな良心だけだった」