北海道に暮らす8割世帯が加盟。「生活協同組合コープさっぽろ」の物流ネットワークと資本主義の先をいく考え方
消費者からの信頼、見えざる経営資産
こうして現場を見せてもらうと、ますます「協同組合」という新しい共同体の可能性を感じた。だがほかの生協に目を向けると、コープさっぽろほどしっかり「稼ぎ」つつ「地域貢献」できている組織はほかにない。 なぜ、コープさっぽろでは、今のような強い組織を築くことができているのだろう。 「まず忘れてはならないのは、コープさっぽろは、北海道でどこより強い消費者団体だったことです。かつて北海道では本州より高い値段で品物が売られていました。それを打破したのが1965年にできた札幌市民生協(前身)で、住民に支持されてどんどん店舗が広がりました」 2007年より理事長をつとめる大見理事長は、そう話す。
「その後も、主婦の皆さんが結集して有害添加物に対する反対運動や、新聞代の値上げ反対などが続きました。その拠点になったのがコープの店舗であり、熱心に活動する組合員さんの存在です。つまり成り立ちからして、生協はいち民間企業とはまったく違うわけです」 今も、たとえば灯油の値段は、コープさっぽろと灯油会社との交渉額が、その年の全道一律の灯油価格となる。プライスリーダーであり、文字通り、消費者の代表だ。 だが80年代後半になると、北海道にもダイエーや西友などの資本が入り、生協は経営的に厳しい状況に追い込まれる。 「資金繰りがまわらなくなり、当時の経営者が粉飾決算まで手を染めてしまって、98年に実質経営破綻しました。採算のよくない43店舗を閉鎖し、職員を半減する大リストラも経験しました。組合員さんへの閉店説明会の場に私も同席しましたが、もう罵倒の嵐ですよ。『何やってんだ!』『店がなくなったら生活できないじゃないか』ってすごい剣幕で怒られて」 ところが驚くべきことに、当時のコープは1480億円の事業高で約400億円を超える欠損金を出したにも関わらず、組合員の多くが出資金を下ろさなかった。 「普通、お金を預けている先の経営が危ないとなれば、自分のお金を守ろうと引きあげるのが一般的です。 さんざん怒られたし、40店舗以上を閉めましたが、組合員さんは生協そのものを残すことを選択したのです」 対照的なのは同時期に経営危機に陥った、北海道の拓殖銀行だった。株価が1円になって、経営破綻した。 「その後20年間、ずっと私の心にあるのは、この時に強く感じた消費者からの期待です。創業時から生協が果たしてきた役割や存在理由が一人ひとりの中にちゃんとあるのだと確信しました。怒りをぶつけられたのも、期待感の裏返しだったかもしれない。“見えざる経営資産”と言っていますが、このとき組合員さんに生かされたという意識が強く残りました。だから、経営さえしっかり再建できればまた事業は復活するはずだと信じられたんです」
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