海外ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』はなぜ、“史実と違っても”受け入れられたのか?
評価と批判を分ける要素
では、なぜゴースト・オブ・ツシマは炎上するどころか高い評価を得ることができたのだろうか。その鍵となるのが、「歴史・文化への理解」、そして「エンターテインメントの最優先」だと考えられる。 エンターテインメント業界ではこれまで、往々にして「欧米の視点で見た日本」が描かれてきた。ハリウッド映画などでも日本の街並みや人々の振る舞い、言葉遣いなどに違和感を覚えた方も少なくないだろう。 こうしたズレは必ずしも悪意があってのことではなく、各時代における情報収集の困難さ、優先順位、制作コストといった制約も関係している。 これらの制約からくる「異文化の理解不足」は、エンターテインメントの範疇(はんちゅう)であれば、日本市場で大きな物議につながることはない(ネタ、ネットミーム化することはしばしばあるが)。 しかし、欧米中心史観などが前面に出た描写や「日本の文化や歴史は欧米によって教え導かれたもの」といったニュアンスが含まれる表現、「歴史における日本の責任」を半ば捏造するような描写が含まれる場合、当然ながら市場から強い反発を招くことになる。 そしてこの類の反発は日本に限った話ではない。制作者による文化や歴史への理解とリスペクトが欠如し、特定の思想を押し付けるような事態が発生した場合、どの国や地域でも同様の反発が起こり得る。
ゴースト・オブ・ツシマが受け入れられた要因
ゴーストオブツシマが日本市場で違和感なく受け入れられ、成功を収めた最大の理由は、このような「文化・思想の押し付け」が極めて少なかった点にあると考えられる。 純粋にエンターテインメントとしての面白さを追求し、その世界観を彩る要素として日本の文化や風景を効果的に活用したのである。 開発元であるサッカーパンチプロダクションズの創業者やプロデューサーは複数のインタビューで、史実の再現よりもエンターテインメントを優先した上で「日本人が違和感を持たない日本の表現」を重視したと語っている。特に、黒澤明監督の作品で描かれた「日本の時代劇」の本質的な魅力を再現することを試みたとしている。 開発陣の黒澤作品へのリスペクトはすさまじく、同作品のカメラワークや演出方法を意識してゲームに取り入れているほか、モノクロ映画のような映像表現でゲームをプレーできる「Kurosawa Mode」を実装しているほどだ。 サッカーパンチプロダクションズがこの方針をブレずに貫いたことが、「日本をテーマとした歴史ゲーム」が日本市場で受け入れられた最たる理由といえるだろう。