第1子を妊娠中の元℃-ute・矢島舞美。妊娠初期はつわりに悩まされ、切迫流産で入院生活。家事サポートが完ぺきな夫は、出産は立ち会う予定
妊娠中の舞台稽古は、まわりの人たちのサポートで乗りきった
――妊娠中の仕事はどのようにされていますか? 矢島 仕事のお話って、実際に動く時期よりもずっと早い時期に来るんですよね。初めての妊娠で私自身もわからないことだらけだし、何カ月先の自分の体調も想像つかないしで、「受けたい、やってみたい」という気持ちがあっても、妊娠によってまわりの人に迷惑をかけてしまうんじゃないかと、かなり葛藤がありました。 それに、妊娠がわかったときは、ちょうどある舞台の稽古中の時期だったんです。だれにも妊娠のことを言わないまま稽古を続けていたので、そのときが一番つらかったかもしれないです。当時は食べづわりだったので、休憩中はとにかく、何かしら食べてしのぐ日々でした。 その後入院が決まり、マネージャーさんから、次にお話をいただいていた舞台側のみなさんに状況を伝えてもらったのですが、1日2公演にならないようにダブルキャストの方とスケジュールを配分していただいたりと、かなりサポートをしてもらいました。 切迫流産の入院中はずっと寝たきりで体力もかなり落ちてしまったし、立ち上がるだけで貧血もひどかったので、復帰後、体力がもつかとても不安で…。実際、復帰してすぐのころは、貧血で稽古を早退させてもらうこともありましたが、だんだんと体力も回復してきて、そのころにはつわりもおさまってきました。 この春に全公演を終えることができたのですが、無事に最終日を迎えたときは本当にホッとしましたね。
いつかお母さんになりたかったから、結婚後すぐに夫と話し合いを
――結婚して、いつぐらいから妊娠・出産について意識し始めましたか? 矢島 自分の中で、「いつかお母さんになりたいな」という気持ちは、夫と出会う前からずっとありました。そして夫と結婚して、2人できちんと話し合って、式が終わってからにしようと決めました。 妊娠がわかったときは、夫はすごく喜んでくれましたし、同時にすごくびっくりもしていましたね。夫から、「お父さんになるんだな」とか「仕事頑張らないと」という言葉を聞いたことで、父親になる覚悟みたいなものを感じてうれしくなりました。 夫は最初の健診にも一緒に来てくれたんです。自分も一緒にエコーを見られるものだと思っていたようなのですが、「ご主人はちょっと外で待っていてください」と言われてしまって、部屋に入れなくて…。夫は、「俺もお父さんになるのに…」と、ちょっぴりショックを受けていました(笑) 妊娠する前から、家事などを率先してやってくれる夫ではあったのですが、切迫流産を経験したり、日に日に私のおなかが大きくなるのを見ていて、以前よりさらに気にかけてくれるようになりましたね。重たいものを持ったり、私が動きづらいときにものを取ってくれたりと、すごく気づかってくれます。 ――夫さんは出産に立ち会いをされる予定ですか? 矢島 最近は出産の話になると、「できたら立ち会いしたい」と言うようになってきて…。一生に1度のことだし、自分も父親になるという自覚がより強く芽生えているのかもしれません。 私が愛用している妊娠・出産アプリを夫も入れてくれています。赤ちゃんが何週でどのぐらい育っているのかがわかるようなアプリなんですが、「今、赤ちゃんはこのぐらいに育ってるんだね~」なんて話してくれるんですよ。 今は立ち会い出産を希望していますが、夫の仕事のタイミングもあるので、こればかりはまだわからないですね。無痛分娩についても、夜間など時間によってはできないという産院なので、自然分娩になる可能性もあります。とにかく、出産は流れにまかせてという感じになりそうです。 お話・写真提供/矢島舞美さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部 切迫流産や重いつわりを乗り越えられた陰には、夫さんのサポートと心強い言葉があったようです。また、退院後は周囲の助けを得ながら、舞台の仕事にも徐々に復帰して、無事に最終公演を迎えました。 次回は、10歳から始めた芸能活動の話やお母さんとの関係、これからの子育てについて聞きます。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年6月の情報で、現在と異なる場合があります。
矢島舞美さん
PROFILE 1992年生まれ、埼玉県出身。10歳のときに、『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』に合格。2005年に℃-uteが結成し、のちにリーダーとなる。2014年にはハロープロジェクトリーダーに就任。2017年6月に℃-uteが解散し、その後は舞台を中心に、テレビ・ラジオなどで幅広く活動。2022年11月には、俳優の味方良介さんと結婚。
たまひよ ONLINE編集部