原発被災の飯舘村 村民に寄り添い、再生に取り組んだ元物理研究者たちの10年 #あれから私は
植物や動物も測定
再生の会は、放射線量や放射性物質濃度の測定対象を山林や田畑だけではなく、植物や動物にも広げた。植物では食用のものから、キノコ類やコケ類まで毎年測定。すると、コケの放射性セシウム濃度が飛び抜けて高いことが分かってきた。 動物ではイノシシを捕獲して解剖し、臓器ごとに濃度を測定。骨や甲状腺では2000Bq/kg程度だが、筋肉では1万4000Bq/kgほどに高くなることも分かった。こうした解体の現場では、巡回している福島県警の警官が寄ってきて見学していくこともあった。 とにかく地道に放射線量を測定し、事実を確認する。そのうえで対策を練る。それが、科学を根拠とする再生の会のやり方だった。原発をつくった技術者の集団とは、アプローチの方法が違うと田尾さんは言う。 「原子力を推進してきた人は、事故が起こらないことを前提としていた。だから震災を『想定外』と言っていたわけです。それは僕に言わせれば、想定外を想定しなかったというだけのことです。そのせいで飯舘村が放射能に汚された。対処の仕方は国も原子力関係者もよく分からない。だったら、僕らがやるしかない。土地の人は土や水のことをよく知っている。僕たちは放射能の知識をもっている。再生の会はお互いに補完しながら活動してきました」
帰村した人の多くは高齢者
2017年3月31日には、飯舘村の大部分の地域で避難指示が解除され、希望者が村に戻り始めた。田尾さんはすぐに住民票を東京から飯舘村に移し、住民として活動を続けることにした。 飯舘村を内側から見てみると、住民間の合意形成の難しさを感じることがあった。その一つが旧佐須小学校の校舎解体だった。1876(明治9)年に開校し、人口減から1977年に閉校。その後、老人クラブなどが囲炉裏を設置し、住民の憩いの場になっていた。だが、2019年、この建物の活用法を巡って住民の中で意見が割れた。老朽化しているので解体した方がいいという意見が出たからだ。 「『再生の会』は、帰村した人、帰村せずにときおり戻ってくる人、地域に関心を持って訪れる人らの交流の場が必要だと考えていたので、校舎を補修して宿泊や交流のできる施設にするのはどうかと提案しました。でも、住民の総意とはならず、結局解体となりました。避難生活で住民がバラバラになったことで、世代や居住地の違いによる意見の違いがより鮮明になったという印象を受けました」