原発被災の飯舘村 村民に寄り添い、再生に取り組んだ元物理研究者たちの10年 #あれから私は
3月31日、飯舘村役場前で測定された空間線量は毎時7.06μSv(マイクロシーベルト)。国内の安全基準である毎時0.23μSv(年間1mSv)を大きく上回っていた。4月下旬、村は全域が「計画的避難区域」に指定され、約6200人の村民は全員が村外への避難を求められた。 当時、東京で生活していた田尾さんはテレビを見ながら福島の状況に注目していた。 「大学院で物理学を学んでいたこともあり、まずは現地に行かないと始まらないと思いました」 5月、田尾さんは、福島の状況を注視する友人たち二十数人と意見交換。その中には、理学、工学、経済、医学などの専門家の姿もあった。「自分たちができることがあるか、まず探ろう」ということになり、6月に16人の仲間で福島県へ。いわき市や南相馬市などの被害状況を見つつ、生活の変化や事業への影響などを聞いた。そして最後に向かったのが、飯舘村北部の佐須地区だった。 田尾さんらは、農業を営む菅野宗夫さん(70)宅で、2時間ほど話を聞いた。何かサポートをしたいという田尾さんらの姿勢に感銘を受けた菅野さんは、「(我々はこれから避難するけど)田尾さんらが村に来てくれるなら、その日に合わせて自分たちも戻る」と語った。田尾さんらも「放射性物質で汚染地域となった飯舘村で、再び村民が安心して生活を営めるようにする」ことを決意し、同月末に「ふくしま再生の会」を発足させた。
放射線量の測定と除染からのスタート
会の初期の大きなテーマは、放射線量の測定と除染方法の確立だった。ここで力を借りたのは、日本トップレベルの研究機関「高エネルギー加速器研究機構(KEK)」だった。東京大学大学院生のころ、高エネルギー物理学を研究していた田尾さんらはKEKの設立に関わり、歴代の機構長をはじめ、関係者とも仲がいい。そのような関係から田尾さんが会を立ち上げると、KEKの有志も活動に加わり、様々な放射線測定器を準備してくれた。 それらを車に積みこみ、田尾さんらは村内全域を走りながら、放射線量を測定。安全な場所と危険な場所を把握していった。さらに、菅野さん宅などに放射線測定器を設置して、定点測定網の整備を進める。徹底した放射線量の測定は、物理学の基本だと田尾さんは言う。 「放射線量の測定は住民や活動に関わる人たちの安全を確保するためにも、最初に取り組まないといけないことでした」