原発被災の飯舘村 村民に寄り添い、再生に取り組んだ元物理研究者たちの10年 #あれから私は
総面積の75%が山林の福島県飯舘村。自然に根ざしたのどかな村は、10年前の原発事故で一変した。広範囲に放射性物質が降下し、住民も避難を余儀なくされた。元物理研究者の田尾陽一さんは事故から3カ月後、村の放射能の状況を測定したり、農業やコミュニティの再生を目指す団体をつくったりして、ずっと活動してきた。田尾さんらは村で何をし、村はどのように変わっていったのか、話を聞いた。(取材:科学ライター・荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
コミュニティの再生を目指した震災からの10年
「原発事故で飯舘村の全村民が一時避難し、その後高齢者を中心に20%の人が戻ってきました。しかし、農産物や畜産物をつくっても売れない、一緒に働く若い人がいないなどの悩みを抱えていた。それでも、森林や産業や生活コミュニティを復活させようとしている。そういう人たちと協働したいと思いました」 そう語るのは福島県飯舘村に拠点を置く認定NPO法人「ふくしま再生の会」理事長で、元物理研究者の田尾陽一さん(79)だ。神奈川県に生まれ、長く東京でIT企業の経営などをしてきたが、2011年3月の福島第一原子力発電所の事故をきっかけに飯舘村に関わるようになった。
6月には農家、市民ボランティアを初め、農業、物理学、気象学、医療などの専門家らと共に、ふくしま再生の会を発足。この10年間で飯舘村の農地などの放射線量測定や除染、稲の栽培サポート、避難生活のケアやイベントなどをおこなってきた。 会の会員は300人ほどいるが、大半が首都圏に在住。おもに週末や大型連休に飯舘村を訪れて活動している。
村全域が「計画的避難区域」に
福島県北部の飯舘村は、豊かな自然に囲まれ、「までいライフ」と呼ばれるスローライフを提唱していた。「までい」とは「丁寧に」を意味する方言だ。しかし、そんな暮らしが東日本大震災で一変した。 飯舘村は震度6弱を記録。山あいのため津波被害はなく、福島第一原発からは北西に40キロ離れており、震災被害は少ないかと思われた。だが、原発の爆発後、風向きや地形の影響で放射性物質が村内まで運ばれ降下した。