「健康診断は“家族を大事にしている”証」渡辺徹が2度の大病を経て変化した家族への思い
昨年は2度目の大病に。医師から「美食家」になることをすすめられた
――その後、2021年には大動脈弁狭窄症(だいどうみゃくべんきょうさくしょう)と診断されました。どんなきっかけで病気がわかったのですか。 渡辺徹: 大きいミュージカルの出演中に、舞台袖で待っていると息切れがしたんです。舞台が終わってカーテンコールに出るために、舞台の上手から下手のほうに移動しているときは早く歩けないし、せきも止まらなかったんですよね。 東京公演が無事に終わって、次の地方公演までに時間があったので、ちょっとだけ検診しておこうと思って病院に行ったら、「大動脈弁狭窄症です。すぐに入院してください」と言われてしまって。「それを放っておくとどうなるんですか」って聞いたら、「そのまま急死することがあります」と言われ、舞台の降板を決めました。 最初に大動脈が詰まったときに、以前同じような治療をしていた徳光和夫さんに「3年から5年経つと戻っちゃうから気をつけようね」と言われてたんですよね。その頃はちゃんと話を聞いていたんだけど、やっぱり再発してしまいましたね。気をつけてはいたんですけど、10年の間に小さな気の緩みが少しずつ重なっていったのかもしれません。 ――食生活についてはお医者さんからもアドバイスがあったのでしょうか。 渡辺徹: 病気をした後は、食生活に我慢がつきものじゃないですか。ところが、先生に「渡辺さん、もっと美食家になってください」って言われたんですよ。今まではとにかく食べる量を求めちゃっていたけれど、「この素材はどんな味だろう」とよく味わってゆっくり食べるようになれば、いろんなバランスよく食べられるようになると。 そう言ってもらってからは、食生活を改善“させられて”いるんじゃなくて、自分は食を楽しんでいるんだと思えるようになりました。少しずつ、バランスよく食べられるようになったんですよね。
自分の命を大切にすることは「家族を安心させる行為」
――2度の大病を経て、ご家族との向き合い方に変化はありましたか。 渡辺徹: 大病を患ったときのことを思い返すと、一番印象に残っているのは、家族がどれだけ心配してくれてたかっていうことです。妻もそうなんですけども、息子2人が「お父さん大丈夫?」と寝室に顔を出してくれて。義理の母親も食事を考えてつくってくれて、退院したときはものすごくうれしそうな顔をしてくれたんですよ。 妻は、お父さんを早くに亡くしていて、しかもその死因が心筋梗塞だったんです。ゴルフから帰ってきて、玄関先で倒れたまま帰らぬ人になった。そのことが、彼女にとってものすごく心の痛手となっていたんです。 それにも関わらず、俺が心筋梗塞になった。お父さんのことでつらい経験をした妻に、「自分の体は自分が一番わかってんだから黙っとけ」なんて言ってしまったうえに、2回も入院・手術することになって、どれだけかわいそうなことをしてしまったんだろうと今になって思います。すごく反省しました。 ――ご自身の中で具体的に行動が変化したなと思うことはありますか。 渡辺徹: 健康診断や定期検査にものすごくマメに行くようになりました。検査に行って「何ともなかったよ」って言うと、妻がすごくいい顔をするし、息子たちもすごくホッとした顔をしてくれるんですよ。 体調をマメにチェックすることは、「こうやってちゃんと体に気をつけてるからね」というメッセージにもなる。もっとカッコつけて言えば、「家族を大事に思ってますよ」という愛情表現になるんだなと感じたんです。自分の命はもちろん大切なんですけど、自分の健康チェックは自分のためだけではなく、家族を安心させてあげられる行為なんだよと広く伝えたいですね。 ----- 渡辺徹 1961年、茨城県出身。俳優、歌手。1980年文学座附属演劇研究所に入所。翌年、人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の新人刑事役に抜擢され「ラガー刑事」としてお茶の間の人気を博す。その後は俳優のみならず、タレント、歌手、司会者としてマルチに活躍。2度の大病を乗り越えたのちも、城西国際大学特任教授、東京藝術大学非常勤講師を務めるなど、芸能生活40年を超えなお、エネルギッシュに活動を続ける。 文:佐々木ののか (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)