能登半島地震、政治とカネ……国会これからの議論
「報道部畑中デスクの独り言」(第354回) ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、2024年の国会議論について― 【写真全5枚】輪島朝市の被災現場 約200棟が焼失した(ニッポン放送・藤原高峰記者撮影)
2024年も半月が過ぎましたが、この間、能登半島地震、羽田空港での航空機事故をはじめ、大きなニュースが続きました。 私は元日午後、年始回りで親戚とゲームに興じていましたが、つけていたテレビから震度5強の速報、その直後に緊急地震速報、石川県能登で震度7、大津波警報の情報が続々と入りました。「これはいかん」……親戚回りを切り上げ、私は気象庁へ急行しました。 ニッポン放送は直後から特番体制に切り替わり、アナウンサーが刻々と入ってくる情報をリレーで伝えました。午後6時10分には気象庁が記者会見。その後、午後7時過ぎには私も中継レポートを行いました。 最大震度7、地震の規模を示すマグニチュードは7.6です。1995年の兵庫県南部地震=阪神・淡路大震災や、2016年の熊本地震はマグニチュードが7.3で、今回の地震は規模の上ではこれらを上回るものとなりました。気象庁はこの地震を「令和6年能登半島地震」と命名しました。 大津波警報はその後も継続され、最大の高さは石川県の輪島港で1.2m以上観測されていました。「1.2m以上」……観測施設の不具合により、データは1.2mで頭打ちになっており、正確な高さが判明していませんでした。その後、津波警報、津波注意報と順次切り替わり、すべてが解除されたのは翌2日の午前10時。約18時間が経っていました。 被災地の情報は、発生直後からニッポン放送でも小永井一歩、内田雄基、飯田浩司、藤原高峰の各記者・アナウンサーがレポートしました。私は気象庁取材の他、羽田空港の事故の現場取材、東証大発会、経済3団体の新年会取材、岸田文雄首相の年頭会見と……2024年の年始は慌ただしく過ぎていきました。 能登半島地震の政府の対応はどうだったのか……特筆すべきは非常災害対策本部の設置であったと思います。地震発生直後の午後4時11分には、官邸の危機管理センターに官邸対策室が設置されました。およそ1時間後、午後5時17分には岸田文雄首相が報道各社のインタビューに応じます。