3代目ご老公からは「あり得ない」と言われ…里見浩太朗が明かす「水戸黄門」の舞台裏 新シーズンの第1話に“火事”のシーンが登場する理由
昼間は助さん、夜は長七郎
79年に「大江戸捜査網」を終えて一息ついたと思ったら、今度はテレビ朝日の「長七郎天下ご免!」が始まった。ただ、これは同じ京都太秦での撮影だったので、進行主任同士が話し合って、「今日の午前中は長七郎で、午後は助さんです。明日の昼間は助さんのロケで行きますが、夜間は長七郎でお願いします」。そんなことが88年に助さんを辞めるまで続きました。 もちろん、鬘(かつら)も全部替えなくちゃいけないし、忙しいこと、この上ない。でもね、役者にとっては違う役を同時に演じるというのは凄く楽しいんですよ。できることなら、AとBだけじゃなくCという役もやりたい。だから、当時は楽しくて楽しくて、1日があっという間に過ぎていました。 「水戸黄門」も、プロデューサーの考えで、よく一人二役をやりましたが、役者は、絶対に文句は言いません。楽しいからね。かといって、ギャラを2人分もらえるわけではないし、割り増しもないんですが(笑)。
仲の悪い黄門ファミリーもあった
《そして02年10月、里見さんは5代目のご老公として「水戸黄門」に帰ってきた》 水戸光圀には、いつでもなれる。けれども、東野さんのような好々爺の味はなかなか出せない。あの“土臭い”、しかも威厳のある老人にいかにしてなるか。最近まで、それを考えながら黄門をやってきました。 それから黄門様というのは、いかにレギュラーを引っ張り、スタッフを動かしていくかも大事。スタッフにいい仕事をしてもらうには、黄門様の物の言い方や態度は大事です。ぶすっとした顔でセットに入られたら、スタッフだって敵いませんよ。何か注文するにしても、名前を覚えて「何とか君、これ頼むよ」と言うのが、心遣いだと思うんですよね。これは京都太秦の伝統で、片岡千恵蔵先生のような大スターも、小道具さんに「おい、何とかちゃん」とよく声をかけていたものです。 レギュラーの仲の良さ、心の通じ合いは絶対に画面に出る、視聴者も感じ取るんです。歴代の黄門様ご一行の中には、喧嘩ばかりして仲の悪い黄門ファミリーもありました。そうすると、現場の雰囲気も面白くなくなって、それが画面に表れる。 東野さんとはタイプの違う黄門様だった西村さんも、カメラが回っていない時は冗談を言ったり、現場がリラックスできる話し方で話せる人でした。