「オレの指はいつになったら生えてくるの?」指の欠損で拳が握れないプロボクサー浅井麗斗の格闘技人生。K-1からボクシング転向後、連戦連勝“ブレイク前夜の覚悟”
10代でK-1選手に
浅井が格闘技に触れたのは小学校低学年のころ。近所の学校で開かれていた空手教室になんとなく通い、なんとなく試合に出ていた。 「ただ、型の美しさを競う大会に出ると、麗斗は手足の指がないので、毎回審判員がどうジャッジしたらいいのか、戸惑った様子で集まって協議してましたね。親の勝手な思い込みかもしれないですけど、シャープに見えないからか、結局負けたりする悔しい経験が何度かあって」(典文さん) キックボクシングを始めたのは小学校5年のとき。典文さんに「いじめられないように」と地元埼玉の道場に連れていかれたその日から、すぐにのめり込んだ。 ただ、ここでまた別のハンディキャップの壁に当たる。浅井は幼少期に医療機関の指導で低身長症検査を受けるほど、ひときわ体が小さかった。中学時代は学年で出場枠が変わるジュニア大会に出場していたため、同世代の子と体格差が激しく、「負けてばっかりだった」と浅井は苦笑する。 「試合で体重差10kgとかはしょっちゅうでした。これも先天性のものかわからないんですけど自分は太れない体質で、プロになってから今まで減量したことが一度もないんです。なので相手はいつも自分より大きな選手で」(浅井) それでも、体格差を理由に敗戦の言い訳をしたことは一度もない。格闘技の熱は冷めず、中学卒業後は通信制の高校に通いながらプロのK-1選手を目指し、3年後にアマチュアの大会で優勝したことで、プロデビューを果たす。 「本当はすぐにプロデビューする予定だったんですけど、3年かかってもう辞めようとしたときに優勝できて、なんとかプロになれました。なので、10代でK-1プロデビューといっても自分はまったくエリートとかじゃないですよ。結局K-1では6戦して、2勝2敗2分でした」
“欠けている“ということは“ある”ということ
浅井はなかなか試合が決まらなかったこと、体が小さく適正階級がなかったことなどを踏まえ、2023年にK-1からプロボクシングに転向した。現在3戦3勝で新人王トーナメントを勝ち進んでいる。 とはいえ、那須川天心や武居由樹のようなキックボクシング界の大物選手が鳴り物入りでプロボクシングに転向したわけではない。「トーナメントの下馬評では他に優勝候補が何人もいて、自分は大穴とみられています」と笑う。 ただ、デビュー戦の勝利者インタビューで、浅井は堂々と決意を語っている。 「同じような障害を持つ人たちに、勇気を与えられる存在になりたいと話しました。同じ障害を持つ人が、嫌なことを言われたり、落ち込んだりしている話は時々耳にするんで。それに、自分は別に障害といってもそんな大きな障害でもないですし。 これはお父さんに言われたことでもあるんですけど、身体的なものや精神的なこととか、程度の差はあっても、誰かしら何か一つは完璧じゃないところがあるじゃないですか。だから、自分だけが特別じゃないし、誰だって乗り越えられるってことをみんなに訴えていければいいなって思ってます」 そう話す表情には曇りがない。だからこそ、自分の障害を憎んだことはないか、つい意地悪な質問をしてしまった。 「憎んだことっていうのは、ないですねえ……。それに、体の一部が“欠けている”っていうのは、他の人にはない個性が“ある”っていうことですから。どんどん自分の個性だと思って、自分にこの障害があることも知ってほしい」 そう言って、自分の手の先を見つめる。 取材・撮影・文/田中雅大
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