「ガンで逝った従兄弟、事故死した友のために」元“崖っぷちJリーガー”がシンガポール代表になるまで「板倉や鎌田がA代表に…自分は何してるんだ」
親友が事故死「新聞で知りました」
2年後、仲村は再び近い人を亡くしている。小学6年生の時、同じVIVAIO船橋でプレーしていた大親友が交通事故で突然、この世を去った。 「小学校が別だったので、事故のことは新聞で知りました。普段、読むことはないのですが、たまたま朝刊を見て親友の名前を見つけたとき、頭の中が真っ白になりました」 少年時代に経験した2人の死が、日常に向き合う姿勢を教えてくれたのかもしれない。試合に出られなくても、仕事で帰宅が夜遅くなっても、どんな時も練習のピッチには誰よりも早く向かった。ギャンブルやお酒に逃げることもしなかった。もちろん、同じ志の仲間に支えられてきたのも事実だが、仲村の意志の強さが現在に繋がっている。 「環境のせいにしたり、文句や弱音を言ったりはしましたが、それだけになっている選手とは一緒になりたくなかったし、実際にそういう選手はどんどん消えていった。何よりサッカーを本気でやり続けたかった。僕は『消えた選手』になりつつありましたが、完全に消えるわけにはいかなかったんです」 仲村は、タンピネス・ローバーズFCを新天地に選んだ。ACLに出場の可能性がある強豪クラブでの日々は常に刺激的だった。 不動のエースに君臨し、所属2年目の2021年に念願のACL出場を果たした。グループステージでガンバ大阪に1-8、韓国の全北現代に0-9と大敗も喫したが、パス成功率とドリブル成功率がグループリーグでトップ3にランキングされるなど、目に見える結果を出した。その活躍が認められ、クラブからシンガポール史上最長となる5年契約の大型オファーをもらい、サラリーも格段に上がった。 条件も嬉しかったが、その時にクラブオーナーが放った一言が仲村の心を揺さぶった。 「冗談半分だったと思うんですけど『シンガポール代表を目指してもいいよ』と。でも、僕はその言葉にビビッときたんです。代表を目指すということをすっかり忘れていて、ずっと見返したいという気持ちだけでサッカーをしていた状態だったことに気付かされた。そういや、俺も夢ってあったよなって」 もう一度、国を背負ってピッチに立ちたい。10代の時に誓った想いが再びメラメラと蘇ってきた。
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