自民党の「派閥」はなぜ生まれた? 功罪と栄枯盛衰、そして解消宣言まで
このような変化を顕著に示すのが、2001(平成13)年に誕生した小泉純一郎政権である。まず、小泉政権の誕生自体が派閥の論理を超えたものだった。当初、大多数の派閥は別の総裁候補(橋本龍太郎元首相)を支持しており、小泉の勝利の目は小さいと考えられていた。ところが一般党員による投票の結果が小泉の圧勝だったため、議員たちも雪崩を打って彼を支持することとなった。永田町の論理ではなく、一般党員の選択が首相を決めたという点で画期的な出来事であった。また小泉政権では、閣僚人事の方法も一新された。従来のような派閥均衡人事ではなく、派閥の頭越しに首相による一本釣りの人事が行われたのである。 2012(平成24)年発足の第2次安倍政権が「官邸一強」と呼ばれるリーダーシップを発揮できたのも、こうした派閥の弱体化を反映した現象である。 派閥の勢力図も大きく変わった。55年体制では宏池会(かつての大平派の系譜。後の麻生派と岸田派)や木曜クラブ・経世会(かつての田中派・竹下派の系譜。後の茂木派)が大きな勢力であったが、近年は清和会(かつての福田派の系譜。後の安倍派)が主流となっていた。実際、21世紀に入って長期政権を維持した小泉首相、安倍首相の二人とも同派の出身であった。
2020年と2021年の総裁選での派閥の動き
2020(令和2)年9月、安倍首相の退陣表明を受けて行われた総裁選では、派閥が再び存在感を示した。 このときの総裁選は、安倍総裁が任期を残した中途辞任によるものだったため、一般党員(党員・党友)による投票は行われず、国会議員票(394票)と都道府県代表票(141票)により争われた。 候補者は、石破茂、菅義偉、岸田文雄の3氏であった。世論の人気では石破が一番だったものの、彼が安倍政権批判を公言していたことから党内での支持は広がらなかった。一方、二階俊博幹事長(当時)が菅への支持を明らかにしたことをきっかけとして、他の有力派閥も相次いで菅支持を決めた。結果的に、細田派、麻生派、竹下派、二階派、石原派の主要5派閥が支持した菅が、合計535票中377票を獲得して圧勝した。 一方、2021年9月に行われた総裁選は菅首相の任期満了に伴うものであったため、党員・党友も参加する「フルスペック」の総裁選となった。フルスペックの総裁選では、1人1票の国会議員票(このときは382票)と、同数の党員・党友票で争われる。 この総裁選での候補者は、岸田文雄、河野太郎、高市早苗、野田聖子の4氏であった。第1回投票の結果は岸田氏が1位であったが、過半数を獲得できなかったため、決選投票が行われ岸田氏が当選した。 前年の総裁選と異なり、この総裁選では派閥が前面に出てこなかった。自派の領袖が候補となっている岸田派以外は各派閥とも事実上の自主投票となったのである。若手議員を中心に、派閥が投票を拘束すべきでないとの意見が強かったためである。 これら近年の二つの総裁選からわかることは、第1に、派閥の影響力低下というトレンドが確かなものであることだ。すでに述べたとおり、今では「選挙の顔」となるイメージが党総裁の条件として重要になっている。自民党議員としては、国民的人気に欠ける総裁の下で選挙を戦うと不利になるため、いかに派閥の支持があっても世論の受けが悪い人を総裁に担ぐインセンティブは低い。 とはいえ、第2に、総裁選における派閥の役割が完全に消えたわけではなかった。総裁選という仕組みがある以上、候補者側が票固めの基盤として派閥を使うことや、一般議員が派閥を軸に情報共有や連携をするのは半ば必然といえる。また、若手にとっては公認獲得や情報入手などの点で派閥所属が有利になることもある。そのため派閥には一定の役割が残っていたのである。 要するに、総裁になるための条件としては、党内支持(派閥の支持)と党外支持(一般国民の支持)の両方が必要になっていたといえる。この二つの条件のうち、どちらが優勢になるかは状況によって異なっていた。2020年の総裁選においては、支持率の高い安倍内閣の後継と目された菅氏に派閥の支持が集まったため、派閥の論理が優越したようにみえた。一方、2021年の総裁選においては、内閣支持率が低かった上に衆院選直前であったため、国民的人気の有無がかなりの程度重視されたと考えられる。