「審査員が金品や接待を求めた」過去も 元審査員が明かす「レコ大」の裏側
レコ大を揺るがした大事件
TBS「第66回輝く! 日本レコード大賞(レコ大)」が30日午後5時30分に放送される。かつてはみんなが楽しみにしていた音楽界のビッグイベントだったが、近年は視聴率が低下。審査方法を怪しむ声もある。元審査員2人に内情を聞いた。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】 【写真】夜明けの六本木で… 20代後半を謳歌する「中森明菜」のレアショット ***
レコ大にはいくつかの誤解がある。まず主催しているのはTBSではなく、公益社団法人日本作曲家協会(徳久広司会長)。同局は後援の立場で放送しているに過ぎない。 1992年には作曲家協会とTBSが対立し、放送権をNHKに移そうとする動きまであったくらい。発端は1989年の第31回で、同年6月に他界した美空ひばりさんの「川の流れのように」が大賞を逸したからだった。 代わりに大賞を得たのはWinkの「淋しい熱帯魚」。TBS系列の地方局の審査員による組織票を作曲家協会は疑った。当時は地方局の審査員が全体の約3分の1を占めていた。 「各賞は審査員による討論のあと、無記名投票によって決められる。だから組織票の真偽は分からないが、地方局は故人のひばりさんより、現役のWinkに肩入れしていたように見えた」(元審査員A氏) 地方局以外の審査員はひばりさんを推すムードが強かった。 「実はひばりさんの所属レコード会社の日本コロムビアは、本番当日に会場の日本武道館に息子の加藤和也さんを呼んでいた。受賞時に挨拶をするためでした。組織票があったとしたら、罪なことをしたものです」(元審査員A氏) 一方、Wink陣営が地方局以外の審査員たちにもアピールを始めたのは本番のわずか1週間前だった。 「急に賞取りに向けて張り切り始めた。『本番直前になって、どうしたんだろう』とクビを捻っていましたが、地方局の票を固め終えたからなのでしょう」(元審査員B氏) この問題は地方局が審査員から外れることで、ひとまず決着したが、元審査員B氏はTBSの演出についても釈然としない面があったという。中森明菜(59)が「DESIRE―情熱―」で大賞を獲った1986年、第28回のことである。 「明菜さんと『熱き心に』の小林旭さんらの争いでしたが、当初から明菜さんの大賞は硬かった。旭さんは最初から大賞に興味がなかった(笑)。それでも旭さんが賞レースに参戦したのはTBSから『盛り上げたいのでお願いします』と頼まれたから。TBSは視聴率が欲しかったのでしょうが、かえってガチンコの勝負に水が差された気がします」(元審査員B氏) 次の誤解はその年一番のヒット曲に大賞を与えるわけではないということ。作曲家協会は大賞の基準をこう定めている。 「作曲、作詩、編曲を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な作品とする」 たとえば1985年に最もCDが売れたのはチェッカーズの「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」だったが、同年第27回の大賞は中森明菜の「ミ・アモーレ(Meu amor e…)」。作品が評価された。一番売れた作品を大賞にするのなら、同じTBSの「CDTV ライブ! ライブ!」(月曜午後7時)と変わらない。