菊池雄星は1年夏の甲子園で衝撃の145キロ 花巻東の「背番号17」は伝説となった
プロ野球選手の甲子園奮戦記(13)~菊池雄星(アストロズ) ほかの高校なら控えの背番号も、岩手・花巻東にとって「背番号17」は特別である。実力のある者だけにつけることが許され、将来の期待の表われでもあるこの背番号の歴史は、菊池雄星が始まりである。 【写真】父は元プロ野球選手の許銘傑!人気町中華の看板娘・ジェンジェンこと許維娟・フォト集 【センバツ準優勝は神様がくれた試練】 2007年、第89回大会となった夏の甲子園で、背番号17を背負った1年生の菊池は、周囲の度肝を抜く圧巻のパフォーマンスを見せた。 花巻東に入学してまだ4カ月しか経っていない夏の時点で、ストレートはすでに145キロをマーク。左腕から放たれる躍動感たっぷりの投球フォームに、高い将来性を感じさせた。 そんな菊池の甲子園デビューは、初戦の新潟明訓戦の5回表、両校無得点の場面で訪れた。 「甲子園の雰囲気にのまれて、自分のピッチングができなかった」 試合後、菊池はそう語った。 登板直後のイニングで、四死球でランナーをためると、レフト前ヒットを打たれ先制点を許してしまう。結局、この1点が決勝点となり、花巻東は敗れた。 それでも8回と9回に、それぞれ2つの空振り三振を奪うなど、1年生とは思えぬ堂々としたピッチングを披露。甲子園にその名を刻んだ。 菊池がエースナンバーを背負い、再び甲子園のマウンドに戻ってきたのは2009年の第81回のセンバツ大会。進化した菊池のピッチングが、岩手の高校野球の歴史を変えることになる。 鵡川(北海道)との1回戦では、8回二死までひとりの走者も許さない完璧なピッチング。四球により完全試合を逃し、9回にも2安打を浴びてノーヒット・ノーラン達成もならなかったが、それでも12三振を奪い完封勝利。圧巻のピッチングを披露した。ちなみにこの1勝は、岩手県勢25年ぶりとなるセンバツの勝利だった。 つづく2回戦の明豊(大分)戦も完封。南陽工(山口)との準々決勝は、背番号5の猿川拓朗に先発マウンドを譲ったが、準決勝の利府(宮城)戦では2点を失うも、5安打完投勝利で県勢初の決勝へと駒を進めた。