テスラで過ごした3年は、わたしの人生の中で最高で最悪の3年だった(海外)
2017年にテスラの仕事が決まった時、アマンダ・マンレイさんはワクワクしていた。チームの意欲的な姿勢も大好きだった。 【全画像をみる】テスラで過ごした3年は、わたしの人生の中で最高で最悪の3年だった マンレイさんは長時間働き、家族との時間も犠牲にした。 2020年にテスラを辞めたマンレイさんは、仕事のペースを落とし、自分のメンタルヘルスを大切にする方法を学んでいる途中だ。 ※この記事はテスラの元従業員で、現在はアメリカのインディアナ州でプロジェクトマネージャーとして働いているアマンダ・マンレイさん(34)への取材をもとに聞き書き、編集したものです。 2017年にテスラの自動車部門のオペレーション・スペシャリストとして採用されたわたしは、テスラのインディアナ州陸運局の業務の立ち上げに携わった。 勢いのある会社で働けることにワクワクしていた。 毎日オフィスへ行き、"何でも可能だ"と信じている人たちとともに働いた。その環境から得られる高揚感は信じられないほどで、わたしはテスラを心から信じるようになった。 テスラのために家庭生活を完全に犠牲にしてきたことに気付いたのは、2020年に2人目の子どもが生まれたのがきっかけだった。振り返ってみると、テスラで働いた3年半は、わたしの人生の中で最高で最悪の3年半だった。 刺激的な日々だったけれど、あの生活に戻ることはもうできないだろう。
テスラのことをよく知らないまま「応募」
わたしがテスラのこの仕事に応募した時、会社側はインディアナ州陸運局で車両権利書・車両登録の業務経験がある人材を探していた。インディアナ州政府で5年働いていて、このうち4年間は陸運局にいたわたしは、この仕事に応募し、採用された。 当時のテスラは規模を拡大している途中で、「モデル3」もまだ発売されていなかった。わたしの周りの人々は、どうしてあれほど安定した職場から一瞬にして潰れる可能性のある会社に行くのか、困惑していた。 イーロン・マスクが何者なのか、テスラがどんな企業になろうとしているのか、わたしたちは全く知らなかった。
Tess Martinelli