西岡剛のドラフト1位指名に尽力、新庄剛志獲得をめぐるトラブル…「ボビー・バレンタインの逆鱗に触れた男」が証言する「ロッテ編成部長時代のウラ事情」
徳島商業で甲子園春夏連続出場。慶應大学時代は長嶋茂雄の通算本塁打記録(当時)である8本に並ぶ大記録を達成し、ドラフト3位で中日に入団。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの… 西鉄ライオンズや巨人を経て最後は古巣・中日で現役を終えた。引退後は中日スポーツ記者、コーチ、編成部長などを務め、日本プロ野球界の表と裏を知り尽くす。その人物とは広野功。 100年近い歴史を持つ日本のプロ野球界だが、広野はその節目となる出来事に立ち会ってきた稀有な人物といえる。 前編記事『「長嶋茂雄引退試合」でひっそりと現役を退いた“もう一人の選手”の正体…川上監督が「お前もおつかれさん」と労った“稀代の満塁男”』に続き、『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)から一部抜粋・編集して、お届けする。
西岡剛の獲得
広野の編成部長としての期間は2001年10月~2003年12月までと短いが、その間、ロッテにとって大きな貢献をしたと見ていいだろう。2002年に西岡剛の獲得に尽力したのも、そのひとつである。 2002年の5月、広野のもとに電話が入る。相手は大阪を担当していた松本尚樹スカウトだ。松本は、1995年のドラフト5位で住友金属から千葉ロッテに入団したガッツ溢れる内野手だったが、広野が「現役は先が見えている。スカウトになれば60歳まで安泰だから」と説得し、31歳となった2001年に任意引退させた。広野にとっては「期待の新人スカウト」であった。松本は、興奮気味に電話でこう話した。 「広野さん、いいやつがいますよ!大阪桐蔭のセカンドの西岡です!ぜひ、一度見に来てください!」 翌日、広野が大阪桐蔭高グラウンドに着くと、西岡はシートノックを受けていた。しかし、本職であるセカンドではなく、ショートを守っている。 「松本、西岡はセカンドじゃないのか?」 「いや、あいつはショートも守れるってアピールしたいんですよ。ショートなら肩の強さも見せられますしね。僕らスカウトが来てるってわかってやってるんです。そういうやつなんです」 西岡はスローイングもよく、バットの振りもシャープ。打撃練習では、大阪桐蔭グラウンドのフェンスの向こうの土手にボンボンホームランを放り込んでいた。低迷していた千葉ロッテの希望となるような逸材に、広野は惚れ込んだ。そして、松本に言った。 「お前、毎日ここに来い。他のところは行かなくていいから、大阪桐蔭のグラウンドだけに行っとけ」 広野の指令を忠実に守り、松本は足繁く大阪桐蔭に通った。これが功を奏す。 「選手の親はグラウンドに我が子を見に来ます。毎日通っているスカウトは、当然親にとって気になるもの。それで、次第に西岡のお母さんが松本にお茶を出してくれるようになり、名前を覚えてもらい、懇意になったわけです。我々は選手との接触はできませんが、親と顔見知りになることはスカウト活動において重要です」 広野はこの時点で、西岡を1位指名することを決めていた。しかし、松本によれば横浜やオリックスも指名する可能性があるという。競合は困る。なんとか、うちだけに絞れないか。そう思っていた矢先、松本が広野を大阪に呼んだ。広野に森本達幸と会ってほしいというのだ。