「何も伝わってこない」に苦悩も 東日本大震災を機にチアリーダーの道に進んだ土屋炎伽「朝6時から部室に行って」
「2019ミス・ジャパン」でグランプリに輝いた土屋炎伽さんは、明治大学応援団バトン・チアリーディング部、富士通「フロンティアレッツ」を経て、現在はXリーグ「ブルーサンダース」のチアリーダーとして活躍しています。土屋さんがチアの道へ進んだきっかけは、2011年に起きた東日本大震災でした。「1日30分しか寝る時間がなかった」と振り返る多忙な大学時代、幼少期からの変わらぬ家族への思いなどについて伺いました。(全3回中の1回) 【画像】「これは応援されたい!」可愛い衣装でエールを送る土屋炎伽さんなど(全14枚)
■3歳から日本舞踊、運動と読書が好きだった幼少期 ── まずは、お名前の由来を教えてください。 土屋さん:私の生まれ年がオリンピックイヤーの1992年で。バルセロナ五輪の開会式を見た母が、聖火の炎が美しいことにものすごく感動して、「炎」という字をつけたと聞いています。小さいころは、ほのかという名前の響き自体はそんなに珍しくはないので、「自分って結構、普通の名前だな」と思っていました。でも成長してから、ほのかという響きに対して「炎」という漢字が使われていることを「珍しいね」、「素敵だね」などと言ってもらうようになったので、今はすごく気に入っています。
── 幼少期はどのようなお子さんでしたか? 土屋さん:小さいころは、図書館でじっくりと本を読んで、物語に浸ることが好きな子どもでした。「赤毛のアン」や「ハリーポッター」シリーズが大好きすぎて、「自分はいつかホグワーツに行くんだろうな」とか「あの『赤毛のアン』のような日常生活の取り組み方が素敵だから、そうなりたいな」とか、空想をしていましたね。 いっぽうで、体を動かすことも好きだったので、幼稚園や小学校のころは男の子たちに交じって「負けたくない!」という気持ちでサッカーをしていましたし、喧嘩でも負けませんでした(笑)。あとは、落語もやっていました。通っていた小学校では、上級生の何人かがお昼休みに落語を披露している場があって、物語に入り込んで伝えるという部分に魅力を感じたので、3年生のころからは上級生に教えてもらいながらチャレンジしていました。運動会では応援団にも入っていたので、振り返ってみると、そのころから応援活動をしていたのだと思います。