「何も伝わってこない」に苦悩も 東日本大震災を機にチアリーダーの道に進んだ土屋炎伽「朝6時から部室に行って」
── 習い事もしていましたか? 土屋さん:はい。習い事は「3歳の3月3日に始めると縁起がいい」というような話があったらしくて、まずは日本舞踊を始めて、その後クラシックバレエや陸上も始めました。陸上は強化練習がハードだったので、休みたいと思うときもあったのですが、習い事をすることでいろいろな人に出会えたり、体力や気力、柔軟性が身についたりもしたので、経験できてよかったと思っています。 なかでも、日本舞踊は特技として頑張っていて、小学校2年生くらいのころからコンクールや全国大会に出て、高校生のころまでお稽古を続けていたので、ひとつの軸になっていたと思います。元々は、母が若いころにたまたまお友達として日本舞踊の先生と知り合っていたことがきっかけでしたが、私自身が「やってみたい」と言ったことで習うようになり、妹(太鳳さん)と弟(神葉さん)も習っていました。母はいつも、私が「やりたい」と言ったものをやらせてくれていましたね。
■妹がデビュー「ちょっとの出演がとても嬉しくて」 ── 中学校、高校時代についても聞かせてください。 土屋さん:引き続き「ハリーポッター」シリーズなどの物語に浸りながらも、中学校の運動会では応援団に入ったり、陸上部と英語部に入部したり、比較的アクティブに過ごしていました。高校も国際交流が活発なところだったので、国際交流イベントを運営する部活に入ったり、交換留学生が来たときには、短い時間で日本舞踊を踊らせてもらったりすることもありました。ちょうど「のだめカンタービレ」が人気だったので、今までと何か違ったことをやってみたいという思いから、吹奏楽部に入ってフルートを吹いたりもしていました。
── 妹の太鳳さんが芸能界デビューをされたのは、そのころでしょうか? 土屋さん:そうですね。妹は小学校5年生のときにオーディションを受けて、少しずつ少しずつお仕事を始めたのが中学校1年生くらいからだったので、私が同じ中学校の3年生のころでした。深夜番組のいちコーナーにちょっとだけ出演したり、CMにちょっとだけ映ったりすることがとても嬉しくて、家族みんなで見ていました。当時の妹は、まだお仕事がたくさんあったわけではないなかで、きっといろいろな苦悩もあったと思います。私としては彼女がいかにリフレッシュできるか、いかにプライベートを充実させられるか、そのためにはこうしたらいいかもしれない、という方向で考えていました。