「何も伝わってこない」に苦悩も 東日本大震災を機にチアリーダーの道に進んだ土屋炎伽「朝6時から部室に行って」
── どの学年のときが1番大変でしたか? 土屋さん:どの学年のときもすごく大変でした。1年生のころは、夜遅くまで器材のメンテナンスをして、翌朝、先輩が来る1時間前に集合場所へ重い器材を持って行って、先輩が来るまでずっと練習をしていて。ジャージのファスナーは首の上まで閉めておかなければいけないというルールだったので、真夏は汗がダラダラで、化粧直しをする時間もなく、ボロボロだったんです。活動に関する反省文を書くこともあったのですが、先輩から「今日中に送りなさい」と連絡が来たときは、寝る時間を惜しんで同学年のメーリングリストで文章を送り合って、添削し合っていました。
3年生になると、企画書を作ったり各学年の出欠届を書いたりするのですが、書類に記入する文字のどこかがにじんでいたり少しでも線からはみ出したりすると、最初から書き直しになるんですね。最後の押印で失敗するとまた振り出しに戻ってしまうので、息を止めてハンコを押していました。コミュニケーションも、基本的には1学年上の先輩としか取ってはいけないし、自分から無駄に話しかけてはいけない。先輩は神様のような存在で、雨が降っていても傘を下ろして「失礼します!」とご挨拶をして走る、みたいな感じでした。
4年生になってからは、睡眠時間を大切にしてもらえるよう、各活動時に書く日誌の内容を厳選したり、合宿で下級生が眠れるようなスケジュールにしたりと、いろいろな部分を変えていきました。ただ実際に変えてみると、「そんなに緩くなってしまうと困るな」というところも出てきて、変化させることへの難しさも感じました。誰かが時代に応じた部活動にしていかないとどうしても部員は減ってしまうという思いと、自分は1番厳しい時代に入部してよかったなという思いの両方を抱えていましたね。
── 4年間の部活動のなかで、特に忘れられないシーンがありましたら教えてください。 土屋さん:奇跡的な勝利だったり悔しい逆転のされ方だったり、たくさんあります。でも私自身のことで言うと、大学に入ってチアを始めてみると、想像と違ったんですよ。真夏になると日焼けがすごくて、お化粧も汗で落ちて、直す時間もなくて。「こんな姿で人前に出ていいのかな。友達が見たらどう思うのかな」と不安で自信をなくしてしまうほどの状態だったんです。そんなときに、野球観戦に来た大学の友人が「ほののチアを見て本当に元気もらえたよ」とか「頑張ろうって思えたよ」と言ってくれたことが、ものすごく嬉しくて、忘れられないです。
PROFILE 土屋炎伽さん 1992年8月26日生まれ、東京都出身。明治大学応援団バトン・チアリーディング部を経て、富士通入社後は「フロンティアレッツ」のチアリーダーとして活躍した。「2019ミス・ジャパン」にて初代グランプリを受賞。現在はXリーグ「ブルーサンダース」のチアリーダーをはじめ、幅広く活動している。 取材・文/長田莉沙 写真提供/土屋炎伽
長田莉沙