「何も伝わってこない」に苦悩も 東日本大震災を機にチアリーダーの道に進んだ土屋炎伽「朝6時から部室に行って」
でも、そのころの感覚は今も変わっていなくて。テレビに出ていることや有名になることが当たり前というよりも、一つひとつのお仕事が決まるたびにいつも「すごいじゃん!」と言って、ずっと応援しているという感じです。
■明大チア部に入部「全力を出したか」と叱られたことも ── 明治大学では、応援団バトン・チアリーディング部に入部されました。きっかけを教えてください。 土屋さん:入学直前に東日本大震災が起きて、入学式がなくなって、授業開始も1か月後に延期になって。私自身も地震に敏感になっていましたし、「どうすれば自分は役に立てるんだろう。どんなボランティアをすればいいんだろう」とずっと考えていたんです。そんななか、友人と東京六大学野球を観戦しに行ったら、応援団が選手だけではなく震災で被害を受けた方々に向けてもエールを送っている様子にすごく心が動いて。「まずは自分の周りから元気にできたらいいな」という思いで応援団に入りました。
入部後は、伝統としきたりを重んじる長い歴史のある組織なので、独特のルールや厳しい上下関係など、大変なことがたくさんありました。各学年それぞれに仕事があるのですが、仕事量がものすごく多くて。朝6時ごろ部室に行って、夜遅くまで作業して、帰宅してから朝方まで係の仕事をするというような毎日でした。3日間で合計の睡眠時間が2時間あるかないか、1日に30分くらい寝られたらいいかなという状態で、ほとんど寝る時間がなかったです。ハードスケジュールのなか、炎天下で1日中動き回って踊り続けなければいけなかったので、やりがいを感じながらも、最初のころは「続けられるのかな。逃げたいな」とすごく思っていました。
── 叱られたり悩んだりした場面もありましたか? 土屋さん:たくさんありすぎます(笑)。東京六大学野球をはじめとする応援活動では、試合の負け=応援の力がたりていなかったという部分につながるので、負けた日は「今日の応援、どうだった?」、「全力を出したか?」という反省が繰り広げられるんです。そのときに「炎伽から何も伝わってこないよ!」と言われることが1番つらくて。こんなに全力でやったのに、これ以上どうすればいいんだろうとすごく落ち込んで、悩みました。でも、「自分では全力のつもりだったでは通用しないんだな。人に伝わらなければ意味がないんだな。じゃあ、どこまでやったら伝わるんだろう?」と考え方を転換させて、気持ちが伝わるように大きく表現するなど、試行錯誤を重ねました。