ヤマハYZR500に見る、2輪用フレームの進化──フェザーベッドからツインスパーに至るまでの道のり 【ライター中村友彦の旧車雑感 Vol.12】
スチール丸パイプ→アルミ角パイプに変更
1979年の実験的な投入を経て、1980年以降のYZR500のフレームは、既存の基本構成を維持しながら、素材をスチール丸パイプ→アルミ角パイプに変更した。もっとも、1950~1960年代のグリーヴスや、1960年代後半のスズキRKシリーズなど、アルミ素材を用いたフレームは古くから存在したのだが、アルミ角パイプ+ロブ・ノース的な構成は、おそらく、1979年型YZR500が世界初。ちなみに他メーカーのGP500レーサーが、アルミ角パイプ+ロブ・ノース的な構成のフレームを採用するのは、スズキ:1981年、ホンダとカジバ:1982年からである。 ──1981 OW53:1980年型ではスチールフレーム仕様も存在したYZR500だが、エンジンをスクエア4気筒に変更した1981年型以降はアルミフレームで統一。
ヤマハの進化はコバスとは無縁?
続いてはいよいよアルミ製ツインスパーの話で、このフレーム形式の生みの親はスペイン人のアントニオ・コバス……という説が世の中にはある。確かに、コバスが設計したGP250レーサーは、1982年の時点で、ステアリングヘッドパイプとスイングアームピボットを2本の極太素材で結び(と言っても太さを感じるのは上下寸法のみで、左右幅は控えめ)、ダウンチューブを装備しない、アルミ製ツインスパーフレームを採用していたのだ。 ──1982 OW61:V4エンジンを新規導入したOW61の骨格は、ロブ・ノースタイプのダブルクレードルとツインスパーの中間的と言いたくなる構成。 ──1983 OW70:前年型とは異なり、OW70はフレームの主役がハッキリした印象。なお現在のヤマハの見解では、このモデルがデルタボックスフレームの原点。
ただし筆者としては、少なくともヤマハは、コバスのフレームのデザインを踏襲したのではないと感じている。その証拠と言うべき車両が、アルミ角パイプ+ロブ・ノース的な構成をベースとしながら、年を経るごとにメインチューブが太くなり、年を経るごとにダウンチューブの存在感が希薄になった、1982~1985年型YZR500だ。 ──1984 OW76:ダウンチューブの片鱗らしきモノは存在するけれど、この年のYZR500のフレームは、もはや完全なツインスパータイプ。 もっとも、YZR500が1982年型でダウンチューブを上方に移設した背景には、V4エンジンの導入にあたって、前側2気筒のチャンバーの配置をスムーズにするという事情があったらしい。とはいえ以後のYZR500の骨格の進化を見れば、やっぱりヤマハは自らの試行錯誤で、ロードレーサーの理想の形状と言うべきツインスパータイプ、同社の呼称に従うならデルタボックスフレームを生み出したのだと思う。なお他メーカーのGP500レーサーがアルミ製ツインスパーフレームを採用するのは、ホンダとカジバ:1985年、スズキ:1987年から。ただしスズキのサテライトチームであるガリーナは、1984年の時点でアルミ製ツインスパーフレームを採用していた。 ──1985 OW81:片鱗すら消えた1985年型。なお同年のヤマハの4ストファクトリーレーサーであるFZR750の骨格は、アルミ製ツインスパータイプでありながら、ダウンチューブを備えていた。