ヤマハYZR500に見る、2輪用フレームの進化──フェザーベッドからツインスパーに至るまでの道のり 【ライター中村友彦の旧車雑感 Vol.12】
車体造りに並々ならぬこだわりを見せるヤマハのGPレーサーたち
近年のスーパースポーツやロードレーサーの定番になっている、アルミ製ツインスパーフレームはいかにして生まれたのだろうか? 当記事ではヤマハのファクトリーレーサーYZR500を主な素材として、1960年代以降の2輪用フレームの進化を振り返ってみたい。 【写真】ノートンのフェザーベッドフレームからヤマハYZR500・YZR-M1への進化
原点はノートンのフェザーベッド
2輪用フレームには、いろいろな形態が存在する。だから安易に一括りにはできないのだが、近年のオートバイの骨格の原点は、1950年にイギリスのノートンが単気筒レーサーのマンクスに採用した、スチール(クロモリ)素材のフェザーベッドフレーム……と言われている。 ──パーツリストから転載したノートン製フェザーベッドフレームの図版。ただし、これはレーサーのマンクス用ではなく、ストリートモデルのドミネーター用。 ──1962~ RD56:世界GP250用として開発されたレーサーにして、ヤマハ初のフェザーベッドフレーム採用車。エンジンは2スト空冷並列2気筒。 形式で言うならダブルクレードルになるものの、フェザーベッドフレームの特徴は、ステアリングヘッドパイプを起点とする2本のパイプがパワーユニットを取り囲むようにぐるりと一周することで、その立体的な構造の美点が周知の事実になった1950年代中盤以降は、世界中の数多くの2輪メーカーがノートンの影響を多分に感じるフレームを導入。ヤマハの場合は1962年型RD56がフェザーベッドタイプの骨格の第1号車で、以後の同社は数多くのレーサー/スポーツモデルに、フェザーベッドタイプの発展型となるフレームを採用することとなった。 ──1967~ RD05/A:RD56の後継車となる、250ccの2ストV4レーサー。開発のスタートは1965年で、当初の冷却方式は空冷だったものの、すぐに水冷に刷新。
ロブ・ノースタイプの流行
1973年からヤマハが世界GPへの投入を開始したファクトリーレーサーYZR500のフレームは、当初はRD56やRD05/Aの発展型と言うべき構成だった。ただし1970年代中盤以降は、ステアリングヘッドパイプとスイングアームピボットプレートを結ぶ2本のパイプが直線的になり、真横から見たクレードル部は、四角形(と言うより平行四辺形)から三角形に近い形状に変化。ちなみに、そのデザインは1970年代のロードレーサーの定番で、ホンダ、スズキ、カワサキも同様の構成を導入していた。 ──1973~ OW20:世界GPの最高峰クラスを制するために生まれた、YZR500の第1号車。リヤサスはまだツインショックだが、1974年からはカンチレバー式モノショックとなった。 ──OW20は兄弟車のTZ750と同時開発。フレームはフェザーベッドタイプで、エンジンは2スト並列4気筒。 ──1974~ OW23:写真は1975年型。前年型と比較すると、ステアリングヘッドパイプとスイングアームピボットプレートを結ぶ2本のパイプが直線的になっている。 そしてそういった構成の原点は、1969年以降のF750レースで数々の栄冠を獲得したBSA/トライアンフの3気筒レーサー、ロブ・ノースフレームのトライデント/ロケットⅢ……のようである。ただしイギリスではそれ以前から、ステアリングヘッドパイプとスイングアームピボットを結ぶ2本のパイプを直線的に配置したフレームの実例があったのだが、時代の流れを考えると、以後のフレームのトレンドを作ったのはロブ・ノースだろう。