プロ野球は「国民的娯楽の王様」というフェイク。実は、日本のベースボールは衰退の危機に突入
■スポーツが地域「文化」となる ある競技が、「目の前で超人たちが奇跡を見せてくれる」喜びを享受する、地域の人々による広い裾野で支えられたとき、それは人々の生活や人生とシンクロし始め、「甲子園には出られなかったしドラフトにもかからなかったけれど、地域リーグ(四国アイランドリーグなど)や地元クラブチームで野球を続けられる」ことになり、「この街はスポーツをスイッチにして、経済も社会交流も教育もみんな連動している」というシビック・プライドを生み出し、それはすなわち、スポーツが地域「文化」となることを意味します。
地域密着の競技運営が「その競技のスポーツ・キャピタル(競技資本)」という基盤づくりを積み上げていき、それが興行ではなく「文化」として継承されるのです。 競技名をいろいろ入れ替えてみれば、地域密着してプロ化に成功した競技、それに向けて発展中の競技、そしてどうしてもそこへ着地できない競技などがわかります。 そして、まさにプロ野球という長い歴史を誇る競技団体の中においても、さまざまなコントラストが浮上します。
地元の地方テレビ局の利益を守るために、ネット放送コンテンツと契約をあえて結ばず、選手の年俸は抑え気味ではあっても、若手選手を育成から丁寧につくり上げ、地域のファンとともにその成長を見守る球団があります。「親会社」はなく、長年支え続けてきた地元企業の経営者個人が大株主です。 その地元企業の業績が悪化すれば、その株は市民がシェアすることになるでしょう。ベースボールはなくなりません。なぜならば地域に根づいているからです。
■20世紀のビジネスモデルとしての野球 他方、地域属性が曖昧で、親会社を自称する大企業の「宣伝広告費」を税制慣習上特例的に援用して、スーパースターばかりを大金で連れてくるような20世紀的やり方は、裾野も基盤も軽視して、超人たちだけで行われる興行モデルからの離脱がなされていないように思われます(個々の選手には何ら責任はありません)。 伝統的に、日本の職業野球団の運営は、マス・メディアを中心になされてきました。購読者数を増やすためです。夏の高校野球は朝日新聞、春のセンバツと社会人都市対抗は毎日新聞、そしてプロ野球は読売新聞です。まさに20世紀ビジネスモデルです。