ウサギが「ゴルフ場開発に反対」で訴えた! 実際に起きた「奇妙な裁判」の「驚きの内容」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】ウサギが「ゴルフ場開発に反対」で訴えた! 実際に起きた「奇妙な裁判」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
ウサギが訴えた
言葉を話さない動植物、山、川など「自然」にも権利があるとする「自然の権利」論に基づいて、動物が裁判の原告になったことがある。アマミノクロウサギ訴訟である。 奄美大島でのゴルフ場開発を阻止するため、そこに生息するウサギなど動物4種が「我々が快適に暮らす利益を侵害するような開発を止めよ」と訴えたのである。 といっても、もちろん当のウサギたちが怒りで目を真っ赤にしながら訴状を持って「訴えるピョン」と裁判所に行ったわけではない。人間の弁護士たちが当該土地の開発を差し止めるため、そこに住む動物の「利益」を根拠に、動物を原告として訴訟を起こしたのである。 結局、原告のウサギたちには行政事件訴訟上の原告適格がなく、「自然の権利」なるものも現行法体系上は認められないとされて却下された。しかし、この訴えは無駄ではなかった。 鹿児島地裁の判決文では、「自然の権利」は「人(自然人)及び法人の個人的利益の救済を念頭に置いた従来の現行法の枠組みのままで今後もよいのかどうかという極めて困難で、かつ、避けては通れない問題を我々に提起した」と述べられており、原告の問題提起の意義は一応認められたのである。 今日、福祉国家といわれる国々では、おもに弱者のために新たな権利が創設される傾向がある。日本でも1960年代、高層建物が雨後の竹の子のように乱立する中、急に隣に建てられたビルのために日光が遮られ、陽当たりを奪われた、また奪われそうな人々の切実な抗議の声に端を発して、「日照権」が認められた。 また「嫌煙権」が定着してタバコが吸える公共スペースがかなり縮小されたことも周知の事実だろう。かつては多数派から顧慮されることさえなかった、しかし切実な要求が、裁判で主張されて闘われた結果、新たな権利として認められることがある。 しかし、権利権利といっても一筋縄ではいかない。厳密にいうと、道徳的権利と法的権利という違いがあって、前者だけでは裁判所で使えないのだ。そこで、ここでは両者の違いと法的権利が成立するための条件というものを説明しておこう。