多様性を気にしている時点で多様性じゃない──「地球人」ウルフ・アロンという生き方
からかわれた幼少期、母の教えに込められた思い
日本生まれなので、英語は話せない。 「『英語しゃべれるの』っていう質問は人生で何回されたか分からないですが、それを苦労って思うのかです。考え方によってはポジティブにも捉えることができる。僕はそこからコミュニケーションが生まれてるなって思ってました。でも最近は自己紹介で『英語はしゃべれません』って言うようにしてます(笑)」 小学生の頃は名前をからかわれたこともあったが、何事にも前向きな少年だった。 「『いじめられてる』と見られてたかもしれないですけど、僕はそれを『いじめ』とは解釈してなかった。常にポジティブでした。人よりも目立つし、一回で名前を覚えてもらえます。そういう意味では得だと思いながら生活してましたね」 この持ち前の明るさは自身の性格によるものだが、家庭環境も大きく影響している。
6歳のときに柔道を始めた。母・美香子さんからは小学6年生まで続けなさいと言われ、中学進学後も柔道部へ。母の教育は一貫していた。 「『やると決めたことは最後までやり通す』という母でした。柔道も、僕が始めたいと言ったので、一度やると言ったなら、やりなさいと。もしそう言われてなかったら、柔道をやめてた可能性もありました」 じつは高校では柔道をやめて、アメリカンフットボールをやろうと思っていたほどで、中学時代に心が折れそうになったことは一度や二度ではなかったという。 「それでもずっと『やりなさい』と言われていたので、それがなぜなのかを最近、母と話したことがあったんです。一度やるって決めたことを道半ばで降りちゃうと、大人になったとき、なんでもかんでもすぐ諦める人になってしまうと考えてたそうです。それは感謝してますね。人間としての基本的な常識がない大人に育つのが怖かったんだと思います」 母の教えを守り通す忍耐力、負けず嫌いな性格が柔道を続ける原動力になった。 「僕はかなりプライドが高いところがあって、負けっぱなしじゃ終わりたくなかったんです。勝てるまで頑張ってみようとやって、気づいたら柔道が好きになっていました」 そうして続けてきた柔道で頂点を極めた。金メダリストという肩書によって、想像以上に名前や言動が注目されるようになった。