<センバツ>守り勝つ「明商野球」で日本一を 明石商卒業生がエール 第92回選抜高校野球
第92回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に出場する明石商(兵庫県明石市)で26日、卒業式があり、3年生41人が母校を巣立った。2019年の甲子園で春夏連続4強という輝かしい成績を残したメンバーの中から、主将を務めた重宮涼さん(内野手)▽4番で副主将の安藤碧さん(外野手)▽19年センバツ出場の立役者となった宮口大輝さん(投手)▽19年夏の甲子園で好投した杉戸理斗さん(投手)――の4人に、高校野球の思い出を聞いた。【聞き手・韓光勲】 【写真でチェック】21世紀枠の全出場校 ◇重宮涼さん 卒業の実感はまだ全然湧かない。高校を離れるのはさみしい。大学での練習が始まっている部員も多いので、「お互いの大学で頑張ろう」という気持ち。 大学(日体大)では全力で悔いのないように頑張って神宮大会に出たい。将来は社会人野球とか、(楽天に入団した)水上(桂捕手)みたいにプロに行けたらいいなと考えている。自分のできる限り野球を続けたい。 監督に言われたことをやるのが高校時代。大学では自分で考えて練習しなければいけない。深く考えて野球をしたい。高みを目指してストイックにやりたい。 自分たちの代は春夏連続の甲子園ベスト4。この結果には満足していない。日本一を達成できなかったという思いが強い。 今のチームは、来田(涼斗主将)や中森(俊介投手)が注目されてプレッシャーもあると思う。その中で、どれだけ普段の練習の成果を出せるか。監督がいつも言うように、地域の方や先生、支えてくれる家族への感謝の気持ちを忘れず、守り勝つ「明商野球」で日本一を目指してほしい。 ◇安藤碧さん 1年生の頃からベンチに入らせてもらい、支えてくれた監督やコーチ、ベンチ入りできなかったみんなには感謝しかない。 甲子園での打撃(3年時の春夏通算30打数10安打7打点2本塁打)は納得していない。勝った試合でも「自分がもっと打っていれば楽な試合だった」と後悔がある。自分では「ベスト4止まり」だったと思っている。今のチームには日本一を目指してほしい。 本気で野球をしたくて集まったメンバーと、本気で野球に取り組めた3年間だった。明石商に来て本当に良かったと思う。 ◇宮口大輝さん 1年生からベンチに入らせてもらった。(2年だった18年秋は近畿大会準々決勝の報徳学園戦で完封勝利するなど大車輪の活躍を見せて)1学年下に中森というライバルがいたが、投げさせてもらえて幸せだった。でも最後にけがをしてしまい、チームに貢献できなかった。悔しかったというのが高校野球の感想だ。 3年夏の県大会はスタンドから応援した。そういう経験がなかったので、メンバーに入れなかった部員の悔しい気持ちが分かった。メンバーから外れた時、重宮と水上が「県大会は優勝するから甲子園ではベンチに入ってくれ」と声をかけてくれた。2人のおかげで腐らずにチームを手伝えたと思う。バッティングキャッチャーやノックの声出しなど、練習のサポートをした。 甲子園は春夏連続ベスト4という結果だったが、チームが最高の状態の時に自分は野球人生のどん底だった。上も下も見えた高校野球人生だった。でも、センバツで投げられたことは幸せだった。 大学ではもうひと花咲かせたい。もう一度「宮口」という名をとどろかせて、「終わっていなかったんだな」と思わせたい。 ◇杉戸理斗さん 明石商に入った頃は練習がつらくて、野球をやめたいと思った時もあった。1年の秋以降に起用してもらえるようになったが、2年の秋に先発した試合で1死も取れずに3失点し、一度は信頼を失いかけた。それでも19年のセンバツでは投げさせてもらった。春の経験を積んで、捕手の水上とも相性が良くなった。 球は速くないが、センバツの後は強豪チームを相手にしても抑えられるようになった。19年夏の甲子園では(3試合で15イニングと)多く投げさせてもらい、自分の仕事ができたと思う。甲子園でのピッチングは楽しかった。緊張もあったが、甲子園のマウンドはワクワクした。