労働市場の需給逼迫による持続的な賃金上昇は、企業に何を強いるのか?
資本といえば、伝統的には工場における産業用機械などハードの設備投資が一般的であったが、現代においてはAIやIoTなどデジタル技術を活用したソフトウェアの利用が広がっている。実際に第2部で見てきたように、企業の現場ではデジタル技術の活用によってこれまでより効率的に業務を遂行する体制を整え始めている。 開放経済の環境下においては、あらゆる技術が世界中で活用可能になっている。しかし、これまでの日本経済を振り返ると、こうした技術が現場に十分に浸透してきたとはいえないだろう。そして、先進技術の浸透が十分に行われてこなかった理由を考えれば、その最も大きな要因としては、資本導入にあたるコストが相対的に高かったことがあげられる。 たとえば、近年多くの小売店で導入が進んでいるセルフレジは労働者の生産性の向上に貢献している。しかし、それは必ずしも最新の高度な技術によって利用可能になったわけではない。小売業における接客の仕事について、たとえば時給800円で非正規社員を雇えるのであれば、企業はわざわざ高価なシステムを導入してまでデジタル化に対応しようとはしない。 小売業の企業がここにきてこぞって資本導入を進めているのは、足元で人件費が高騰しているからであり、かつ賃金上昇が今後もおさまることがないと企業経営者が予想しているからである。先進的な資本が実際にビジネスの現場に導入されるかどうかは、資本と労働の相対価格に依存するのである。 そう考えれば、これまでは安い労働力を大量に確保することを可能にしていた労働市場の構造が生産性の低い業務を温存させてきたという側面が、少なからずあったと考えることができる。逆にいえば、人手不足による賃金上昇が進むこれからの時代においては、先進技術を活用した業務効率化が加速していくと予想することができるのである。
■ 予想6 生産性が低い企業が市場から退出を迫られ、合従連衡(がっしょうれんこう)が活発化する デジタル技術などを活用した資本導入の動きは今後広がっていくとみられる。しかし、すべての企業が大規模な資本を活用できるだけの経営的体力があるわけではない。近年ではクラウドサービスなど安価なサービスが浸透してきているとはいえ、中小企業の中には人手も確保できず、かつ資本導入も進められない深刻な状況に陥っている企業も少なくない。 今後の経済を展望したとき、企業によってその展開は異なるものになると予想される。先の法人企業統計は資本金1000万円以上の企業を対象とした調査であるため、中小企業の利益水準の動向まではわからない。また、同統計は株式会社など主に営利法人を対象としたものであるため、公益法人なども対象に入っていない。 地域の飲食店や小売店、診療所から介護施設にいたるまで、企業がどれだけの利益を計上しており、経営者がどれだけの報酬を得ているのかは統計的にはブラックボックスである。おそらく、事業に成功して多額の報酬を得ている経営者もいるとはみられるが、経営的に余力がない事業者も多く存在していることだろう。 今後、賃金水準が高騰すれば、こうした利益水準が低く、生産性に劣る企業については市場からの退出圧力が強まることになると予想することができる。 昨今では企業経営者の高齢化に伴い、事業の後継者不足の問題も深刻化している。今後は規模の経済性を活かせない企業や、人材確保の観点から事業継続が困難になっている企業について、人手不足倒産の発生や優れた企業によるM&Aが活発化することなどによって、少数の事業者に集約化されていく展開になるだろう。 利益水準が高い企業のシェアが拡大していけば、生き残った少数の企業において資本導入が活発化し、経済全体の生産性は高まっていく可能性が高い。
坂本 貴志