《ブラジル》記者コラム=平和教育の根底にある家族の秘話=戦争ゆえに自分は生まれたとの自覚
空襲で九死に一生を得た母、特攻に行き損ねた父
ブラジル靖國平安の会(西国幸四郎理事長)による「慰霊祭2024」が8月31日午前、サンパウロ市のブラジル日本文化福祉協会貴賓室で開催された際、松柏大志万学院の川村真由実校長は、母真倫子さん(96歳、2世)が大戦中に日本で空襲を受けた経験を代弁すると共に、地球の反対側で起きた戦争と自分との深い関係について述べた。 真倫子さんは戦前、12歳の時に母親に連れられて訪日し、親の故郷の三重県で14歳の時に開戦を迎えた。毎日学徒動員されて工場で勤労奉仕する日々の中、突然空襲を受け、近くの防空壕に逃げ込んだら、特定の家族専用のものだったらしく「よそ者は出ていけ」と追い出された。 空襲の最中、別の防空壕に移っても「出ていけ」と言われたが、防空頭巾をかぶって聞こえないふりをして我慢した。空襲が終わって外に出てみると、最初に飛び込んだ防空壕に爆弾が直撃して全員亡くなっているのを見て、戦争の理不尽さと悲惨さを痛感した。 真倫子さんは高等師範卒業後にブラジルに帰ろうとし、ブラジルにいた父親に旅費を送ってもらおうと手紙を書いたが、カチカチの勝ち組だった父は日本で敗戦を体験した娘の言うことを認めなかった。そこで指を切って滴る血で血判状を書いて、帰国したいという決意を改めて書き送ると、ようやく帰国旅費を送ってくれたという。 真倫子さんはブラジルに帰って日本語教師として活動を始める中で、一人の男性と知り合って結婚し、彼は川村家に婿として迎えられ、真由実さんが生まれた。彼女は、「父は自分の生い立ちを何も言わない人でした。80歳近くになった時、『特攻隊員になるために訓練しているうちに終戦を迎えた。兄や先輩たちがみんな戦場で逝ったのに、自分だけが生き残ってしまった。申し訳ないと思っている』ということをボソリと語ったんです。初めて教えてくれました」と思い出す。15歳年上だった兄は戦争で亡くなり、「『男兄弟では自分だけが生き残ってしまった』とも言っていました」という。
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