<甲子園交流試合・2020センバツ32校>明石商 コロナ禍の軌跡/上 最悪の状態で最善を 監督の言葉、胸に刻み /兵庫
「センバツ」に続いて、「夏の甲子園」の中止が決まったのは5月20日。コロナ禍で授業も練習もなくなり、丹波篠山市の実家に帰省していた中森俊介投手(3年)は、スマートフォンのニュースで知った。「中止になるかもしれない」と心の準備はしていたが「実感が湧かなかった」。 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 県内でも新型コロナウイルスが猛威を振るい始め、4月上旬から休校に。政府による緊急事態宣言が発令され、グラウンドでの全体練習ができなくなり、個人練習に切り替えた。 部員は離ればなれになったが、一体感を作ろうと、チームは無料通信アプリ「LINE(ライン)」で練習内容を共有することにした。10人ずつのグループで、同じ時間帯にウエートトレーニングなど共通のメニューをこなすことにした。「体重を2キロ以上増やす」という目標も掲げた。毎日、体重を測定して結果を交換し合った。なかなか体重が増えない部員には、来田涼斗主将(3年)が「しっかり食べろよ」とメッセージを送り、ほぼ全員がクリアした。 中森投手は5月末までに約8キロもの増量に成功した。普段は寮生活だが、母美幸さん(41)が毎日、1升のご飯を炊いて食生活を支えた。美幸さんは「食事中もテレビを見ている時も、いつも片手にボールを握っていた」と振り返る。 5月いっぱいは休校が続いた。「みんなと声をかけ合って野球がしたい」。植本拓哉選手(同)は孤独と向き合っていた。逆境でも気持ちを切らさなかったのは、新入生だった18年4月、狭間善徳監督(56)から掛けられた言葉を胸に刻んできたからだ。「野球部に入ると決めたのなら、最後まで精いっぱいやり切れ。男と男の約束だ」 「監督と約束したから、全力でやろう」と植本選手は自らを奮い立たせた。他の部員たちも「夢の舞台」があると信じ、それぞれ練習に励んだ。狭間監督も「元気か。ちゃんとやっとるか」と3年生全員に電話をし、気配りも欠かさなかった。 6月10日。「高校最後の舞台を」という球児の願いが届き、センバツ交流試合の開催が決まった。分散登校中でグラウンドに集まった部員は半分。練習前に狭間監督は「たった1試合でも甲子園で野球ができる」と伝え、部員たちは表情を変えずに聴き入った。 15日には野球部の全体練習が再開され、久しぶりに全員が顔をそろえた。狭間監督は「2カ月以上、全体練習をしていないが、『最悪の状態で最善を尽くす』のが明商野球部だ。最後まで諦めずに頑張ろう」と激励した。 7月8日にはセンバツ交流試合の組み合わせ抽選会があり、来田主将がオンラインで参加。夏の甲子園で優勝経験がある桐生第一(群馬)との対戦が決まった。1試合限りの「甲子園」まで1カ月。チームを短期間で仕上げるため、狭間監督は秘策を練っていた。 ◇ 「2020年甲子園高校野球交流試合」(日本高校野球連盟主催、毎日新聞社、朝日新聞社後援)の第5日第1試合(16日午前10時開始予定)に登場する明石商。「センバツ」に続いて「夏の甲子園」もコロナ禍で中止となり、全国制覇の夢はついえた。そんな逆境を選手たちがどう乗り越え、新しい目標を見いだしてきたのか。軌跡を追った。【中田敦子】 〔神戸版〕