「弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から“排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援に必要な視点
「差別」と「排除」が混同されている
――弱者男性と女性とでは、どちらのほうが差別や排除を受けているのでしょうか。 伊藤教授:EUで使われていた指標をもとにゼロ年代の後半に社会学者の阿部彩さん(東京都立大学教授)が作成した「社会的排除指標」による調査では、物質的な貧困のほかに社会関係や社会参加などのさまざまな点を総合すれば、男性のほうが排除度が高く、とくに「低学歴の単身中年男性」が最も排除されやすいプロフィールだったそうです。 ただし、非正規労働がもたらす経済的な問題は、女性にとってのほうがより深刻です。結局、日本型福祉社会が崩れた現在でも、結婚していない女性が生きるのは困難な状況があり、シングルマザーなどの「弱者女性」の苦労は「弱者男性」の比ではないでしょう。 そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています。差別とは、歴史的な構造のなかで、ある特定の属性を持ってきた人たちに対して社会が不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。 また、障害を持つ男性も「弱者男性」に含めるべきだ、と論じられることもあります。障害を持つ人が「差別」を受けていることは確かですが、「障害者は政策によって支援すべき」という社会的な合意はすでに成立しており、経済や恋愛とは位相が異なる問題です。 昨今の弱者男性論は、90年代以降の「排除」論で語るべき物事を、70年代以来の「差別」論に基づいて語っている点で誤っています。そのために適切に議論することが難しくなり、「実は女性よりも男性のほうが差別されている」などと主張する不毛な「逆差別」論に終始しているのです。 端的に言えば、「差別」されているのは女性であり、一方で「排除」は男性の側に目に付くようになった、ということでしょう。ただし女性は、「差別」と「排除」の両方を受けることもあり、そうした点にも配慮する必要があります。 ――これまで、ジャーナリズムや学問の世界で弱者男性が取り上げられたことはありますか? 伊藤教授:2003年にエッセイストの酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』が大ヒットした後に、05年に評論家の本田透さんが『電波男』を、07年にフリーライターの赤城智弘さんが『若者を見殺しにする国』を出版しました。二人とも、女性の「負け組」を論じた酒井さんに対して、「真の弱者は自分たち男性である」と主張する議論を行っています。 本田さんと赤木さんは「弱者男性論」の先駆けといってよいでしょう。 学問の世界では男性学者の西井開さんが「非モテ男性」について研究しています。また、最近では批評家の杉田俊介さんが弱者男性に関する本を複数出版しています。 ただし、西井さんや杉田さんは弱者男性たちの内面を深掘りする方向の議論をしており、社会構造についての幅広い議論はまだまだ少ないといえます。