「日高横断道路」は、なぜ幻の道となったのか? およそ半世紀越しの計画を凍結した理由。 【いま気になる道路計画】
北海道の日高と十勝を結ぶ東西軸のアクセスルートとして事業が進められてきた「日高横断道路(静内中札内線)」。しかし厳しい自然環境と多額の事業費、そしてその他の高規格道路の優先度により事業は凍結されてしまった。40年以上にわたる計画の経緯と今後の行方を追う。 【画像】幻の日高横断道路ってどこからどこまで? ルート図で確認!
「日高横断道路」を凍結した理由とは?
日高地方の新ひだか町静内(旧静内町)と十勝地方の中札内村を結ぶ「日高横断道路(静内中札内線)」。この道路は、総延長100.8km(実延長94km)のうち日高側46.3kmと十勝側33.2kmは整備されているものの、その間の25.3kmは未開通で通り抜けられない「未成道」となっている。 日高横断道路の全線開通を目指して、未開通の25.3kmを事業化したのは1981年度(昭和56年度)のこと。1984年度(昭和59年度)には工事を開始した。しかしこの事業化された区間のうち整備されたのは日高側の4.0kmだけで、2003年(平成15年)に事実上の凍結に。未開通区間21.3kmのうち13.6kmの工事に着手しており、工事を中断するかたちとなった。何故このような事態になってしまったのか。 まず、大きな課題となったのが、大規模な橋梁やトンネルの建設だ。計画では、急峻な山岳地の沢沿いを橋梁で乗り越え、日高山脈の中央部をトンネル通過するルートとなっており、そのために何十年という長い工期と莫大な事業費を投じなければならない。北海道開発局が発表した資料によれば、冬期の積雪で施工期間も限られることから、残りの工事を完了するのに20年を要するという。 さらに、開通済の区間にも課題がある。日高側も十勝側も、急カーブや急勾配の連続する狭あい道路で、砂利道のままのところもあり、長期間の通行止めが常態化している。つまり、この開通済の区間の道路を改良しなければ、未開通の区間を整備しても日高横断道路は通行止めばかりの不便な道路となり、全線開通後の交通量も見込めない。 もうひとつあげられるのが、「日高自動車道(苫小牧市~浦河町)」と「帯広・広尾自動車道(帯広市~広尾町)」の存在だ。北海道は、道道の日高横断道路より、高速ネットワークの整備を優先するべきだと考えたのだ。日高横断道路の事業凍結後は、まさにこれに取ってかわるように、日高自動車道と帯広・広尾自動車道を延伸していった。