「袴田事件」を描いた異色の新作劇「反骨」…作・演出家が語る2時間の舞台に込めた思いとは
「昭和の陰」を舞台化
2024年11月末、中野の「スタジオあくとれ」で、グループKによる新作劇「反骨」が上演された。同年9月に差し戻し再審の無罪が確定した「袴田事件」を描く異色舞台である。事件発生から今日までの「58年間」の日々が、熱気あふれる2時間に凝縮されていた。ミニシアターではあったが、全8公演、完全満席の盛況だった。 【写真を見る】あまりにもリアル! 観客が固唾を飲んで見入った、緊迫する取調室での場面
いまなぜ、このような舞台を生み出したのだろうか。グループK主宰者で、作・演出の香川耕二さん(66)に、話を聞いた。 「俺は2007年に、演劇プロジェクト、グループKを立ち上げました。その第1作は、昭和30年発生の放火殺人事件「松山事件」が題材でした。戦後の死刑冤罪事件のひとつです。その後も、昭和史の陰で、底辺に生きる人々の人間模様を描いてきました。そのなかで、ずっと忘れられない出来事のひとつが、俺が小学生のころに発生した袴田事件だったんです。資料や文献を渉猟しているうち、なんとしても演劇化したいと思うようになりました。自分なりの構想がまとまり、支援会を通して袴田さんに許諾と取材を申し込んだのが、2024年初めです。まだ再審公判中でした」 そう熱く語る香川耕二さんは、円演劇研究所の第9期生。外波山文明が主宰する「はみだし劇場」(現「椿組」)に参加。多くのテント・野外劇のほか、TVや映画などでも活躍してきたベテラン俳優である。グループK公演では、主演・演出が中心だが、近年は、自作上演にも挑んでいる。 袴田事件とは、1966(昭和41)年、静岡県清水市(現:静岡市清水区)の会社役員宅で、家族4人が殺害され、現金強奪、放火された事件である。やがて同社の従業員で、元プロ・ボクサーの袴田巌さんが逮捕、起訴される。だが、袴田さんは、拷問や過酷な取調べで、強引に自白を強要されたもので、冤罪であると主張。それでも、最高裁で死刑が確定する。 その後、2度目の再審請求で、再審開始。2014年に死刑と拘置の執行停止が決定し、ようやく袴田さんは釈放された。 その後も、検察、裁判所、袴田さんサイドとの“攻防”がつづいたが、ついに2024年9月、再審公判で無罪判決が言い渡され、検察側が上訴権を放棄。袴田さんの無罪が最終確定した。実に、事件発生から58年の歳月が流れ、袴田さんは88歳になっていた。 2024年初め、演劇化の構想をまとめた香川さんは、支援会の仲介で、袴田巌さんと姉のひで子さんに会うため、浜松を訪ねた。 「実は、支援者の方から、『巌さんは、男性に会うことは拒否されるかもしれません』といわれていました。袴田さんは、30歳で逮捕されてから、50年近くも収監されてきたんです。その間、拷問や異常な取調べで精神を病み、いわゆる拘禁反応で、通常のコミュニケーションは、とれなくなっていました。特に相手が男性だと、取調官を思い出すのか、嫌がられることが多いそうなんです。そのため、姉のひで子さんが、後見制度の保佐人になり、常に寄り添っています」(香川さん) しかし袴田さんは、部屋に入ってきた香川さんに対し、拒否反応は見せなかった。香川さんは、長時間にわたって、ひで子さんに、舞台の内容、目的、また、演劇化する以上、ある程度のフィクションも交えることなどについても、真摯に説明をつづけた。 「ひで子さんは最後に、『香川さんの思いのまま、やってください』と、笑顔で答えてくれました。その後も、支援会のみなさんや、袴田さんを支え続けてきた日本プロボクシング協会などの協力もいただき、なんとか書き上げることができました」