キーコーヒー上場30周年 柴田社長が語る上場への思いと株主との理想の関係とは?
コーヒー黎明期に創業
キーコーヒーは株主数5万人を突破し、今年東証上場30周年を迎えた。 特筆すべきは、株主の約9割がキーコーヒーのファンである個人株主で占められている点。 取材に応じた柴田裕社長は「イベントなどの機会に“いつも飲んでいるよ”と株主様からお声がけいただくことがよくある」と語る。 上場30周年の節目を機に、創業から上場への想いや株主との理想の関係についてインタビューした。 キーコーヒーが創業したのは104年前の1920年8月24日。柴田社長の祖父にあたる柴田文次氏が、神奈川県横浜市にコーヒー商「木村商店」を創立した。 創業当時はコーヒー黎明期であった。 「創業時、横浜にはハイカラな西欧文化が集まり、コーヒーもそのひとつだった。だが、日本全国に展開するほどには浸透しておらず、多くの方にとって、コーヒーは馴染みがないものであった」という。 キーコーヒーの約100年の歩みは、事業活動とともに、多くの生活者にコーヒーを親しんでもらい、誰でも簡単においしいコーヒーが楽しめる環境づくりにあったと言える。 創業翌年の1921年には、家庭で手軽にコーヒーが楽しめる商品として「コーヒーシロップ」を発売。家庭にコーヒーを浸透させるきっかけとなる最初のヒット商品となった。 1955年には、コーヒーの正しい知識や抽出技術などを広めるべくコーヒー教室をスタート。1960年には、民放テレビでも「コーヒー教室」の放映が始まった。
在学中にトラジャ訪問 入社へ柴田社長の背中を押す
1980年代、コーヒーが市民権を得つつある中、当時大学生だった柴田社長は卒業後の進路を考えていた。 「当時、企画・開発・国際という3つの言葉が流行っており、国際的な仕事に関心があった。海外展開している企業への就職も考え、自分の仕事が海外の事業につながるようなことをしたいと考えていた」と振り返る。 そうした中、キーコーヒー入社の背中を押したのが「トアルコ トラジャ」の生産地で、キーコーヒー直営農園があるインドネシア・スラウェシ島のトラジャ地域の山岳地帯への訪問だった。父で二代目社長の柴田博一氏が訪問を勧めたという。 1976年、キーコーヒーはこの地に現地法人トアルコ・ジャヤ社を設立し東京ドーム約113個分の530haという広大な面積を持つパダマラン農園を直営しているほか、周辺の協力生産農家や仲買人からコーヒー豆を買い付けている。 柴田社長の最初の訪問時は、インフラ・農園ともに発展途上だった。 「昔は電話がなかなか通じず、道路も未整備だったと聞いていた。実際に訪れ、農園設営によって雇用を生み出しインフラ整備のお手伝いもできていると身をもって知った。海外の支援にもつながる仕事をしたいと考えていたため、キーコーヒーならそれができると確信した」と述べる。 約1週間の滞在を通じ、生産現場の実情も目の当たりにする。 「コーヒーを作ることは、こんなにも手間がかかり大変なことであると痛感した」という。 トラジャでの経験で意志を固め、1987年の大学卒業後、キーコーヒー(当時・木村コーヒー店)に入社する。