「音楽を愛する人間が最後に残る」ブルーノート創立85周年、社長ドン・ウォズに学ぶレーベル運営論
ブルーノートはこれまでに山のようなコンピレーションを作ってきた。作っても作ってもどれも違うものになるし、ブルーノートのカタログがいかに豊かで、奥深いものなのかを思い知らされる。CDサイズのたった70分に、このレーベルの魅力をすべて収めるなんて不可能だ。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 そんな作業にブルーノートの社長ドン・ウォズがみずから挑んだ。レーベルの創立85周年を記念した『Blue Spirits: 85 Years of Blue Note Records』は彼らしい解釈で、ブルーノートの歴史を切り取った2枚組。現在の視点からブルーノートを聴くための最良の入門編にもなるだろうし、再検証をさりげなく促しているのもさすがだ。 そこで今回は、このコンピレーションを切り口に、ドン・ウォズが今考えているレーベル観や社長としての運営論について話を聞いた。今、ブルーノートは再び最盛期を迎えている。そんな状況を作り出したドンに、その内実をたっぷり話してもらった。 * ―『Blue Spirits』の選曲は、どんなことを考えて選んだのでしょうか? ドン:とにかく大変だった。君(柳樂光隆)もブルーノートのコンピレーションを作ったことがあるからわかると思うけど、もし鳥越(ユニバーサル ミュージックのA&R)からの電話が1週間遅かったら、また違う選曲になってただろうね。あれが“あの週の僕の気分”だったということだ。 2枚のCDに収めるなんて不可能だよ。でも、なんとなくの“感じ”は伝わると思う。聴き手それぞれの体験になってほしいと考えたんだ。いろいろ混ぜすぎて、誰一人として満足できない、というのは避けたかった。それで、1枚目はトラディショナルな古めの曲で一貫した雰囲気を出そうとして、曲順にもすごく気を使った。気分を上げるような、メリハリのある、一つの体験として聴けるような曲順を考えた。そして、それと同じことを2枚目では現代の曲でやろうと思ったんだ。選曲には本当にこだわったので、ぜひアルバムを通して聴いてほしいね。もちろん、ランダムでストリーミングしても構わないけど。 ―ブルーノートはいい曲しかないので、CD2枚にまとめるのは大変ですよね。 ドン:大変なんてもんじゃないよ(笑)。でも、この2枚を聴けば、なぜブルーノートが歴史上、最も素晴らしいジャズレーベルなのかがわかるはずだ。それは1939年の誕生以来、今日に至るまで続く理念なんだ。ブルーノートのアルバムを際立たせる特徴の一つは、ブルーノートが契約するアーティストは全員、過去の歴史を徹底して学び、音楽の基本をマスターしたうえで、その知識から全く新しいものを作り出したという点だ。つまり彼らは限界を押し広げたんだよ。ブルーノートには、ジャズの歴史の博物館のようなレーベルになってほしくない。常に革新的でいてほしいんだ。今回の2枚を聴けば、過去85年間に出たブルーノートのアルバムに脈々と続く実験精神と革新性を感じてもらえるはずだよ。 ―実にあなたらしい選曲だと思う曲がいくつかあるので、それについて聞かせてください。カサンドラ・ウィルソンの曲を選んでいますよね。ブルーノートの歴史において彼女はどんな存在だと思いますか? ドン:非常に急進的なことをしてのけたと思う。誰もがよく知る曲を、独自の方法で生まれ変わらせ、その曲に対する新たな解釈を作り出したんだ。唯一無二のシンガーであり、いくつもの音楽スタイルを組み合わせた。その影響力は絶大だったと思う。カサンドラ・ウィルソンに大きな影響を受けた1人にノラ・ジョーンズがいる。彼女がブルーノートに持ってきた最初のデモテープにはハンク・ウィリアムズのカバー(「Cold Cold Heart」)があった。言ってみりゃ、カントリーソングだよ。「君はジャズシンガーなの? ポップス? カントリー? ハンク・ウィリアムズ?」と怪訝がられた彼女は「カサンドラ・ウィルソンも歌ってたじゃん。ジャズシンガーがカントリーを歌っちゃいけないなんてことはないから」と答えたという。実際、1stアルバムを作り始め、ノラがプロデューサーにクレイグ・ストリートを指名したのは、カサンドラ・ウィルソンのハンク・ウィリアムズ楽曲をプロデュースしたのが彼だったからだ。彼なら意図を理解してくれると思ったからさ。音楽の歴史にとって、ブルーノートにとって、ノラ・ジョーンズの1stはゲームチェンジャーと呼べる1枚だったわけだが、カサンドラ・ウィルソンの存在がなかったら、違うものになっていたと思うよ。 ―ステフォン・ハリス「Black Action Figure」を入れた理由はなんですか? ドン:素晴らしい曲だからさ。特にこの曲を収録したアルバムでのステフォンは恐れを知らず、ガイドライン内に留まるのではなく、壁を崩そうとしている。これに限らず、ブルーノートで彼が残した作品はどれも革新的だね。聴けば彼だとすぐにわかるのは、彼みたいなことをする人間が他にいないからだ。音楽に対して、いかにパーソナルにアプローチするか……このアルバムの全員に共通して言えることだが、誰もが自分の“声”を持っているよ。声は歌うためだけじゃない。強烈な個性を持つ優れたストーリーテラーのことを言うんだ。ステフォン・ハリスがいなかったら、今日のジョエル・ロスはいなかっただろうからね。 ―ステフォン・ハリスはロバート・グラスパーの1つ前の世代として、グラスパーたちがやることを準備した人でした。でも忘れられがちな存在ですよね。 ドン:同感だ。だから、彼を入れたかったんだ。他のミュージシャンへの影響はものすごく大きい。何もヒップホップとジャズの要素を一緒にしたミュージシャンは、ロバート・グラスパーが初めてではない。ステフォンも、ロイ・ハーグローヴもやっていた。ただし、ロバートが『Black Radio』でやったようなことをやった人間がいなかったんだ。彼は自分の方法を見つけ、それが音楽の世界を一変させた。どんな高校、大学のジャズ・プログラムでもロバート・グラスパー編曲の「Afro Blue」が演奏される。誰もがあれをグラスパーの曲だと思っている。まだコルトレーンを知らないからね。作曲者であるモンゴ・サンタマリアもまだ知らない。でもグラスパーのバージョンは知っている。そうやって彼は若いミュージシャンのジャズのアプローチ方法を変えたんだ。ロバートがいなかったら、ドミ&JD・ベックもいなかった。でもドミ&JDがやってることはロバートとは違う。ロバートはあくまでも道を切り拓いたんだ。 ―改めてブルーノートのカタログを隅々まで見て、悩みながら選曲してみて、ブルーノートに関して、発見したこと、もしくは気付いたことはありましたか? ドン:知ってたはずなのに、すっかり記憶から消えて忘れてしまっていた作品を、40年ぶりに聴いて思い出した、ということはしょっちゅうだったよ。ホレス・シルヴァーの『The Jody Grind』も久しぶりに聴いた。『Cape For The Day In Blues』『Song For My Father』に続くアルバムで、彼のものでは最もファンキーな、いわばハードバップのファンキーな一面が表れたアルバムだ。決して人気が高いと言えないが、本当にいいアルバムだし、バンドもジェームス・スポールディング、ウディ・ショウと最高なんだ。「なんでもっと人気が出ないんだ?」と不思議だったので、Tone Poetシリーズ(2019年に立ち上がった、ブルーノート作品の180g重量盤LPリイシュー企画)をやってるジョー・ハーリーに電話をして確認した。話にはあがったらしいんだが、やはりTone Poetで出してはいなかった。そんな驚きもあったよ。 ―なるほど。 ドン:偉大なる故マイケル・カスクーナ(ブルーノート研究の第一人者、2024年4月に死去)はブルーノートで行なわれた全セッションをカタログ化していた。彼の本を読んだことがあるかな? 1000ページ近い大著だ。たまに僕はそれを開くんだが、どのページを開いても必ず何か面白いことが書かれている。驚くこともね。 例えば、ウェイン・ショーターが「Speak No Evil」のセッションの1カ月前、エルヴィン・ジョーンズの代わりにビリー・ヒギンスをドラムに据えて、一度レコーディグをしていただなんて、僕は知らなかった。「Speak No Evil」には別バージョンが存在するんだ。同様に、ハービーが『Maiden Voyage』の曲を違うバンドで録ったバージョンも存在するらしいが、誰も聴いたことがない。今、テープを探しているところだ。聴いてみたいじゃないか。まるで別の宇宙が存在するようなものだ。 でも残念ながら「ちょっと下に行って探してくる」と言えるほど簡単な話じゃなくて、アメリカの反対側の保管庫の山の中……いや、実際に山奥にあるんだが……火や温度に損傷されないよう、湿度が保たれた保管室のテープの山に埋もれてる。探すのに時間はかかるだろう。見つけてもすぐにテープレコーダーにかけられるわけじゃなく、テープを焼いて酸化物の裏側が剥がれないように注意深く扱わないと。経年劣化もあるので、再生できる回数は限られている。他にも保管庫にはたくさん眠っているはずだ。 ―大変な作業になりそうですね……。 ドン:1984年にマイケル・カスクーナがブルーノートの旧譜を出すようになった時も、全部が出せていないのは、それらの(質が)劣っているからではなく、あまりに量が多すぎたからだと思う。ウェイン・ショーターなんて1964年から1966年だけで、10枚近いアルバムを録音してるんだ。全部出せるはずがない。マイケルは頑張ったが、それでもまだ世に出ていないもの、世に出すべきものがたくさんあるんだよ。 そんな中で最大の発掘は、4年くらい前にリリースしたアート・ブレイキー『Just Coolin’』だ。最初に世に出たのは、このスタジオ盤を録った1カ月後、同じ曲をライブでやったバージョンだったわけだが、きっと「ライブ・アルバムの方がいい」とスタジオ盤は忘れられてしまっていたんだろう。なので、もし本気で保管庫を探し尽くしたら、そこにはまだまだサプライズがあると思うよ。